日本人と韓国人 その似て非なる事 

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zoom RSS 戦闘機を造っていた「台湾少年工」を知っていますか?

<<   作成日時 : 2013/04/22 01:31   >>

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 台湾関連のニュースを見ていたらこういう記事がありました。


 台湾の李登輝元総統が来月8日に来日して、9日には神奈川県の座間市で、太平洋戦争中、同県にあった航空機工場、「高座海軍工廠」で働いていた元台湾少年工と交流し、「武士道および民主主義」と題する講演を行うと言う記事です。


 「高座海軍工廠」というのは、神奈川県にあった旧日本海軍の航空機工場で、工員3万人、年産6000機という設計のもとに、日本最大規模の航空機生産工場になる予定でした。しかし雷電を始めとした海軍の戦闘機を生産していましたが戦局の悪化とともに、当初の目的を達成することはできませんでした。

 この工場での労働力不足解消のため台湾の少年たち約8400名が海を渡って日本へ来たそうです。彼らは12歳から16歳までの少年と、彼らを指導し、まとめるための17歳から19歳迄の中学生(旧制)たちで、学習成績が優秀で、身体健康という言わば選抜試験を合格した人たちでした。(「スカイラインの父」と呼ばれる桜井眞一郎さんのお父様が少年工たちに日本語を教えていた関係で高座海軍工廠に出入りしていたことが櫻井眞一郎氏の自伝書「スカイラインとともに」に書かれています。)

 彼らを募集する際の条件としては、日本本土で航空機を製作しながら勉強すれば、国民学校高等科卒業生が3年で工業中学校卒業の資格を得られ、将来は航空機技師へ道が拓け、希望すれば進学も可能というのです。中学校卒業者は3年で高等工業学校卒業の資格が与えられます。食費など生活費は一切公費で、給与も貰えるというのですから、台湾の少年たちには「破格の条件」とされました。従って多くの台湾少年が志願し、学業心身共に優秀な生徒が選抜されましたが、戦局の悪化に伴い授業は中止となり、3カ月の実習、軍事教練を行う基礎訓練も短縮され、職場の第一線に従事することになります。

 そして終戦、それまで日本人としての誇りを胸に懸命に働いてきた少年工たちは、突然「異国籍者」となり、中学校(現高校)卒業の資格も得られないまま、志半ばで1946年1月横浜から遺骨と負傷者及びその付添い人たちを乗せた船に乗り台湾へと帰っていきます。

 日本の敗戦後、占領軍の政策もあり、多くの元少年兵は台湾に帰りましたが、勉強を続けるため日本に残った人、共産党政権下の中国に渡った人もいたようです。ただ台湾に帰った人も卒業資格もなく、国語も北京語に変わったり、どのような道であったとしても大変な苦労がうかがい知ることができます。

「高座海軍工廠」で働いていた元台湾少年工の証言を記録したドキュメンタリー映画「緑の海平線〜台湾少年工の物語」と言うのがあります。(製作者のお一人である慶応大学環境情報学部の藤田修平准教授(当時専任講師)が何故映像に残そうとしたのか説明している記事があります。参照してください)
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 2008年10月に横浜市で上映された時の新聞記事のことをブログ「博士の独り言」さんの記事にありました。
 
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読売新聞2008/10/30(クリックで拡大)

 記事には映画で証言した元台湾少年工「呉春生さん」が次のように語っています。

「自分たちは向上心を持ち、将来を夢みて日本にやってきた。決して無理やり連れてこられたわけではない」

 少年工たちは、帰国後約40年間にも及ぶ台湾の戒厳令が解除されてから同窓組織「台湾高座会」を結成しました。戒厳令下では日本抹殺政策が行われました。日本語は禁止され、神社等も壊されてしまいます。従軍した人は大日本帝国陸海軍兵士として「祖国日本」の為に闘ったことと言うことも公言することはできない時代でしたので、少年工たちは戒厳令が解除されてから初めて「台湾高座会」を結成したのです。日本でも日本に残った人で「日本高座会」が、また「高座日台交流の会」も結成されていて交流が行われているそうです。

 留日50周年歓迎大会には台湾から1400名が来日し、その際に台湾高座会が大和市へ贈ったのが観光名所となっている「台湾亭」です。また留日60周年歓迎大会では、60年ぶりの「工員養成所の修了証」と神奈川県議会と大和市長からの感謝状が送られました。
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 その60周年歓迎大会の様子をTBSが放送していました。放送した番組は「筑紫哲也ニュース23」と言う番組ですので、その辺り(ちょっと偏向)を考慮して見ていただきたいのですが、「第2の故郷に里帰りや」という台湾のじっちゃんの言葉は強烈でした。
 
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  この60周年記念大会には台湾から元少年工が600人日本の関係者を合わせると1000人が参加したそうですが、式典の最後には台湾の各地区代表が来賓と共に「仰げば尊し」を歌いました。


 「台湾高座会」を紹介しているサイトでは留日60周年歓迎大会プログラムが紹介されています。

その中から作家の阿川弘之さんの「歓迎と感謝の辞」を紹介します。

歓迎と感謝の辞 作家 阿川 弘之

 古稀を過ぎた台湾少年工の皆さん、よくいらっしゃいました。此の度はおめでたうございますと申し上げたいのですが、五十八年おくれで「在職 証明書」「卒業証明書」を受け取る皆さん方の御心境は、ほんたうのところ、中々複雑なものであらうかと存じます。

  にも拘らず、証書授与式のあと、皆さん方一同、「仰げば尊し」を合唱なさりたい御意向と聞いて、多くの日本人が深い感銘を受けました。私の知 人、友人の幾人かは、そのことを話しながら涙を流してをりました。それは、一つには、今尚昔の日本をなつかしく思って下さる皆さんの、謙虚なお気持への感謝の涙であり、二つには、あの苦しく険しかった時代にも、日本人のやさしい一面を失はず、親切な、あたたかい態度で、皆さん方へ数学や英語や製図の手はどきをした高座海軍工廠の、工員養成所の 教官、教員をはじめ、よき上司や同僚がゐたと知っての、感動の涙です。

  大会当日は、私たちも「仰げば尊し」を歌ひます。
 それは、あなた方への感謝の気持をこめて 歌ふのです。

 今や、私どもの方が、「日本人、もっとしっかりしなさい。日本の心を、本ものの大和魂を取り戻して、大切にしなくてはいけません」と、台湾の人々から教へてもらふ時代なのです。その意味でも、よくぞ来て我々の心に灯をともして下さいました。有難う、有難う。大会終了後、どうかゆっくり日本滞在を楽しんで下さるやう願ってやみません。


 またその大会では陳水扁前総統と李登輝元総統からもメッセージが届きました。李登輝元総裁は、そのメッセージの中で次のように語っています。

 私たちは働く分野こそ違え、自分たちの祖国や郷土のために、共に働いて参りましたが、皆様と私には、他にも共通点があります。それは共に抱く、日本への深い連帯感です。

  多くの心の通う日本の友人を私も持っていますが、台湾高座会の皆様も、高座を機縁とする極めて多くの日本人と深い心の繋がりを持っています。今日、台湾と日本は同じ価値観を持つ友邦として、お互いがお互いを必要としています。台湾高座会は、現在台湾と日本をつなぐ絆のうちで、質量ともに最大のものではないかと私は考えています。

  この連帯関係が、今回の訪日によって更に強められることを、心から願っています。台湾高座会歓迎大会実行委員会の皆様には、折角のご招待を受けながら国内の優先すべき行事のため、訪日できないことをお詫び申し上げ、私の心からのご挨拶と致します。


 こうしてみると李登輝元総統は前回大会に来ることができなかったので今年の台湾高座会留日70周年歓迎大会のために来日されるようですね。


 台湾日本語世代の証言集「愛する日本の孫たちへ」と言う本がります。かつて日本人であった台湾のじっちゃん・ばっちゃんたちが日本人を叱咤激励する台湾日本語族11人の証言集です。
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 この中には元少年工の交流会「台湾高座会」の斗六区会会長・黄茂己さんの言葉「寒かった、ひもじかった。少年工の思い出」が紹介されています。その一部を紹介します。


「寒かった、ひもじかった。少年工の思い出」

 冬が深まるにつれ、今度は別の悲鳴が宿舎のあちこちから聞こえてくるようになりました。「寒い! 寒い!」。温かい台湾で育った子どもたちには、日本の冬の寒さがこたえます。しかも、いくら寒くても夜は薄っぺらな毛布4枚しかありません。「寒い!」の次は「痛い! 痛い!」。温かい台湾で育った子どもたちにとって、しもやけは初めての体験です。しかもシラミやノミまで一緒になっていじめてくるのです。

 皆がやっと寝静まったかと思うと、薄い古毛布の中から嗚咽が聞こえてきます。最初はあたりをはばかるようなビアニッシモ。それがクレッシェンドになり、大合唱。果ては「アブー!(台湾語で「お母さん」の意味)」という泣き声に。
年長者の私はこれをなだめるのに一苦労です。しまいにはこっちも泣きたくなってきて思わず「馬鹿野郎! だらしがないぞ。これくらいの辛抱ができなくて戦争に勝てるか」と自分でも訳の分からないことを怒鳴ってしまいます。(略)

 1945(昭和20)年8月15日、終戦。日本が負けた時は、本当にがっくりとしました。あの時は私も日本人でしたから、「自分の国」が負けたのです。台湾少年工の日本での生活は過酷でしたが、子ども心にも「お国のため」という愛国の心に燃えていました。だから敵と戦う飛行機を作れることは、少年工たちにとってこの上ない誇りでした。もちろん日本が負けて、卒業資格などもらえぬままの台湾への帰還。しかし半世紀以上過ぎた今でも、私たちは日本を心の故郷と思い、日本を愛し続けています。

今でも日本人だったことに誇りを持っていますよ。

 少年工同士で会えば、お互いを日本名で呼び合っているほど。また、共に働いた日本人の友達が台湾に来ると、喜んであちこちの名所旧跡を案内します。少しでも日本と台湾の友好に寄与できたらという思いがあります。

 日本の人たちは、どうしても私たちのこの感情が理解できないようです。昔、ある日本の新聞記者にインタビューされました。後に彼が執筆された本のあとがきには「日本の植民地政策は、民族性まで奪い取った」とあり、いたく反省されていました。

 日本人はすべて日本が悪かったという説にしてしまいますが、それははたして真実でしょうか。台湾人の民族意識は日本に奪い取られたわけではなく、実は「もとから、無かった」のです。それには台湾という国の歴史的な背景が大きく影響しています。(略)

 確かに台湾人の大多数は、中国大陸から渡って来た漢人の子孫に違いはありません。しかし戦後中国から来た外省人以外、現住民含めて現在70歳以上の台湾人が受けた正式の教育は、日本教育です。

 この世代の台湾人は、中国の影響をいささかも受けていません。それゆえ、中国人としての民族意識は微塵も持っていません。あえて民族意識云々するならば、それは祖先から受け継いだものではなく、日本教育で会得した意識です。

 すなわち日本精神そのものです。

 これは独り私のナイーブな日本礼賛ではありません。我が台湾の父、李登輝・前総統の日本武士道再認識が然りです。


全文は「韓国・台湾、過去からの伝言」さんで読むことができます


 高座日台交流の会会長の佐野た香さんは「台湾と私27 桜の前線は台湾から」の中で次のように書いています。 
 
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 最後に、私は台湾のじっちゃんやばっちゃんの「誇れる日本精神」という思いに答えているのだろうか・・・と自問自答しながらこの記事を書いています。

【追記】 2013/04/29 産経新聞 より

 春の叙勲では台湾から3人が選ばれた。国・地域別でみると3季連続で米国に次ぐ2位で、日台関係の緊密さの象徴ともいえそうだ。

 3人のうち、旭日小綬章に選ばれた李雪峰・台湾高座台日交流協会理事長(86)は、戦時中、神奈川県の高座海軍工廠などで戦闘機生産に携わった元勤労学生。当時、台湾から青少年多数が志願していたが、終戦後、李さんは少年工ら約8500人の帰台の船便確保に尽力した。帰台後は同窓会組織を立ちあげ、日台間の相互理解に寄与した。
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旭日小綬章に輝いた李雪峰台湾高座台日交流協会理事長


 旭日小綬章、おめでとうございます。
理事長の李雪峰さん始め台湾高座台日交流協会の皆さん、日本高座会の皆さん、そして高座会の活動に関わっている皆さん。日台交流にご尽力くださっている皆さんのご努力の賜物だと思います。 



【参考】
 神奈川県大和市「やまとバーチャル平和祈念館」
 台湾高座会留日70周年歓迎大会HP 「台湾高座会とは」
 「台湾高座会」
 ブログ「台湾春秋」さん

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