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zoom RSS 南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その5

<<   作成日時 : 2013/05/09 21:25   >>

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■ 西小門(昭義門/昭徳門)

 西小門は、西大門と同様に現在では門も城郭もなく跡地を示す石碑があるのみになっています。しかし西大門のような電車が通るわけでも南大門のように名所と呼ばれる門でもないため記録としての写真が多く残っていません。ネットでもあまり探せませんし「西小門」とされる写真も特徴があるわけでもないので他の門との区別もなかなかできません。

 現在、西小門跡近くの西小門公園にはカトリック教の聖人44名が殉教した聖地として記念碑が建てられています。1886年に韓仏修好通商条約(朝鮮と仏の間の友好条約)が結ばれるまで、朝鮮ではカトリック教が弾圧を受け処刑された信者、李承薫という朝鮮人で初めて洗礼を受けた人も処刑された一人ですが、そういう人たちは聖人と呼ばれ西小門公園がカトリックの聖地となりました。

 その処刑場があったのが西小門の外で、西小門は光熙門(南小門)と同様城内で死んだ人を送り出した門ということの他に処刑場があったということから不浄門とされました。
 
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西小門跡 左の高い建物が中央日報本社ビル


 西小門の跡を示す石碑が中央日報本社横の駐車場の塀の上にあります。そこには「昭徳門跡」と書かれていて「太祖5年(1396)創建」とあります。その後に「昭義門と言う名に変わった」と書かれています。英祖実録には「英祖20年(1744)に門楼を立て直した時に門の名前を昭義門に変えた」となっていますが、1934年の京城府史で別な理由が書かれているため、あえて石碑には変名の説明を省いたのかもしれません。
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 石碑には「日帝により1914年撤去された」と書かれているようです。ところで「南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その3」に西大門のことを書きましたが、西大門は1915年に電車複線化などが理由として取り壊されたとされていますが、単線すら走っていない西小門なので、道路拡張と言う理由の都市整備のため撤去したとしても西大門より先の1914年に撤去されたというのは根拠としては弱いような気がします。

 何故「1914年」なのかということに関して、seoultimes 2010/09/08 の記事にこういうのがありました。「1914年発行の地図には西小門が載っているが、それ以降は載っていないから」だそうです。地図名は京城府明細新地図(正しい訳かどうか・・・、경성부명세신지도 )というらしいのですが、実際には撤去はされていますし、記録もなさそうなのではっきりしたことがいえるわけでもありませんが・・・。


 さて皆さんは次の写真を見たことがありますか?
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 この写真は、光熙門に関する韓国のサイトに載っていた写真です。
 1907年8月韓国軍解散に抵抗して日本軍と敵対した兵士の死体が南小門(光熙門)外に放置されている様子(左)と、その兵士の家族が探している様子(右)だそうです。1907年9月7日にフランスの新聞に掲載されたということが韓国のサイトに書かれていました。

 その「韓国軍解散」に関してwikiでは「義兵」の項で次のように書かれています。

 1907年7月に日本がハーグ密使事件の責を負わせて高宗を退位させて、第3次日韓協約を結んで韓国軍を強制的に解散させると、解散命令に服しない韓国軍部隊があちこちで蜂起した。

 詳細については獄長日記さんの「韓国軍解散」の記事に詳しく書かれています。

 実際には、1907年7月31日午後8時ころ解散の詔勅が上奏裁可された後、夜10時40分に韓国軍隊解散の詔勅が発せられました。翌8月1日午前7時、軍部大臣が各大隊長を大觀亭(軍司令官官邸)に集め詔勅を伝えました。この時、抵抗した侍衛第1連隊第一大隊の大隊長は病で参列しなかったということで中隊長が参列し帰隊後に大隊長にその旨を伝えたとされています。

 午前8時過ぎ、韓国軍隊教官栗原大尉が大隊を連れて解隊式場の訓練院に向かうために整列させているときに、侍衛第1連隊第一大隊の朴昇煥大隊長が自殺しているのを当番兵が見つけ騒ぎ出しました。そして整列していた兵卒も動揺し、銃器を取り出し弾薬庫に行くものや栗原教官に向かって行ったりします。
 
 そして結局銃撃戦になります。また隣の侍衛第2連隊第一大隊は銃声を聞いて脱走するものや営内に戻って射撃を始めたものも出てきました。
 
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左:事件を伝えるフランスの新聞「Le Petit Journal」 右:「南大門付近戦闘詳報」

 密大日記 明治40年の「韓国駐箚軍 南大門韓国叛兵鎮定詳報の件」(アジア歴史資料センター .Ref.C03022880800)に「南大門付近戦闘詳報」(岡崎生三大13師団長)によれば他の韓国軍の隊は解散式に出席していますし、事件を伝えるフランスの新聞に載った絵には次のように書いています。

 「Les Troubles de coree, La grade japonaise aux prises avee les emeutiers a seoul


 機械翻訳ではうまく訳せないのですが 「les emeutiers a seoul (ソウルの暴徒)」ですので軍隊同士の衝突というより軍の一部が暴徒化したとの認識ですね。写真ではなく絵で事件を伝えていますが、韓国兵が軍服を着ていないのが面白いですね。送られてきた記事が兵隊同士としてのイメージができない記事だったのか、韓国軍の兵士がこういうイメージだったのか。まあ伝えた側の外国人記者は他の韓国軍兵士が解散式に出ているのも知っていたでしょうから、兵の一部が「暴徒化」したと考えた記事になったのかなと思います。韓国軍は京城だけではなく他の都市にもいましたが他の都市でこういうことが起きたということはなさそうですし・・・。

 「南大門付近戦闘詳報」には当時の様子を示す図が載っています。
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 青枠が戦闘のあった地域で、解散式を行った訓練院というのは赤枠の部分で東大門と南小門の間にあります。従って他の隊が「恙なく解散式に出席」というのもわかります。また韓国兵の敗走のことも書かれていて、南大門付近から一部は西小門付近の城郭を乗り越え、30名位が平壌街道を独立門方面へ敗走したということです。また一部は城内で軍服を脱ぎ敗走したようです。
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 さて取り押さえられた韓国兵たちは、取調べの済んだ8月13日に将校55人中34名、下士以下516名全員が釈放されています。将校の内残りの21名は、叛抗を煽動した疑いで引き続き取調べが行われ、下士以下のうち146名は、8月16日に恩賜金を受け取る事となりました。なおここでいう「恩賜金」とは軍解散に伴う恩賜金です。この辺りは先の獄長日記さんの「韓国軍解散」の記事かアジ歴から参照してください。

 「韓国駐箚軍 南大門韓国叛兵鎮定詳報の件」
  JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C03022880800

 「憲兵司令部 韓国軍隊解散に関する報告の件」
  JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.C03022880600

 また先の獄長日記さんの記事にはこういう記述もありました。

1907年(明治40年)8月12日付『機密発第35号の12』より
 、「蔚山駐隊韓兵は、両三日中大邱大隊本部に出頭する筈に有之候。又6月以降経費送付なきより、日本人及韓人より百余円の負債を為し維持し来れる為め、今回解散に付、債務の督促を受け困難の状態に有之候。」

・・・6月以降経費の送付がなかった、負債の催促を受けているので困っているです。軍の経費も払えないという李氏朝鮮末期の経済状況を示す一例ですね。

 さて、光熙門前の日本軍と敵対して亡くなった兵士たちの写真の件ですが、個人的にはかなり疑問を持っています。実際に韓国兵の戦死数は、将校11名、准士官・下士卒 57名です。その他負傷は将校以下100名と報告されていますが、先に紹介したように西小門も死体を出す門ですし、戦闘地域は南大門から西小門一帯で行われたなのに何故わざわざ光熙門なのか、並べて置いておかずに無造作に捨てたのは日本軍なのか・・・。

 日本軍は1907年12月に「十三道倡義軍」という義兵軍と東大門で戦って鎮圧したことがwikiに書いていましたが、その戦いの後の写真であれば東大門に近い光熙門外に兵士の死体があったとしても不思議ではないのですが、韓国軍解散に抵抗した兵士の写真と言われるとちょっと疑問に感じてしまいます。本当のことなのか、フランスの新聞が間違っているのか、引用しているのが間違っているのか不明ですが、皆さんはどう思われますか?



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