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zoom RSS 南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その6

<<   作成日時 : 2013/05/11 16:15   >>

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■北小門(彰義門)

 北小門(彰義門)は、4つの小門の一つで北西にあった門です。北大門(粛靖門)が常に閉じられていたため、この門が城の北側との通用門として利用されていました。近くには渓谷があり「紫の霞がかかる」ということから「紫霞門」という愛称でも呼ばれています。
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 北小門も古い写真はあまりないのですが朝鮮時代の歴史を見るとき非常に面白いものを北小門に見ることができます。それは「仁祖反正」という反乱事件に関する功臣たちの名前が刻まれた板で、第21代王の英祖が彰義門の城門と門楼を改築した際に掛けられたと言うことです。
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 仁祖反正とは、1623年3月、西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻などの大北派を追い出し、綾陽君(後の第16代王仁祖)を王に就かせた反乱です。
画像 少し説明すると、時代は遡って第14代国王宣祖のころ、宣祖の正室は病弱で子がなく、側室に2人の男子が居ました。しかし長男臨海君はイマイチで、文禄の役では、反乱軍に抑留された後に加藤清正に引き渡されて捕虜となって講和の条件として釈放されたような人です。光海君は、明から次男であることを理由に世子冊封の要請を拒絶されますが、宣祖と協力して日本軍への対応に当たり、戦後は1607年に日本との和平を果たします。
 その間、1602年に父宣祖は継室を迎え1606年に唯一の嫡出子である永昌大君が生まれますが、1608年宣祖が崩御すると光海君と永昌大君それぞれを担ぎ出す勢力により世継ぎ争いがおきてしまいます。結局光海君が即位し永昌大君の一派は一掃され臨海君や幼い永昌大君も謀殺されてしまいます。
 ちょうどこの時期(1596年)、宣祖の王命を受け医官の許浚(ホジュン)らが朝鮮独自の医学に基づく医学書の作成に乗り出しました。その後、慶長の役で一時中断されましたが14年の歳月を経て1610年に完成し、光海君の1613年に『東医宝鑑』という名で刊行されましたが、韓国で63.5%の高視聴率を記録したドラマ「ホジュン 宮廷医官への道」の後半では、この時期のことが描かれています。まあ、跡目相続争いとか宮中内での勢力争いとかドラマに仕立てるのにはもってこいの背景ですね。

画像 光海君は明と後金(後の清)の双方との外交関係を維持する中立外交政策を採っていましたが、1623年3月、継室の仁穆大妃と光海君の甥の綾陽君を担ぎ出した勢力がクーデターを起こし、光海君を失脚させてしまいます。
 このクーデターが「仁祖反正」と呼ばれるもので反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功、捕えられた光王君は島流しとなりました。光海君が廃位後は、綾陽君(後の第16代国王仁祖)が擁立され即位します。その際、反乱を起こした勢力は 朝鮮王朝実録も書き換えて光王君を暴君として仕立て上げたようです。そして光海君は長い間悪役の地位についていましたが最近その功績を認めるような動きもあるようです。
 一方外交政策を「崇明排清」に転換した第16代国王仁祖は、結局「丙子胡乱」で敗れ、清のホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼による臣下の礼を行って許しを乞い、「三田渡の盟約」と呼ばれる条約を結ばざるを得なければなりませんでした。

 
 北小門の説明をみると、「典型的な城郭の門の形で、4小門で唯一当時の姿のそのままで保存されています。」と書かれています。この当時のというは建築当時の1400年前後なのか、粛宗や英祖の時代(1700年代)なのかよくわかりません。しかし「南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その4」で南小門(光熙門)や西大門(敦義門)は、石垣等が崩れている写真があるということを書きました。 北小門も同じような写真があり、左の写真では石積みが崩れている他、左の屋根の装飾と魔除けを兼ねた「雑像」の数も少ないのが見えます。
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左:石積みが崩れている。屋根の雑像も少ない

 右の写真には「朝鮮名所、京城彰義門(北門)」と書かれていますが「京城」と言うのは1910年日韓併合の際に付けられた名前ですので、撮影時期はそれ以降と考えられますから併合されてから修復されたのかもしれません。

 修復と言えば東亜日報(韓国語)2006/01/24に「光化門、元の位置を復元した後、広場造成」と言う記事に面白い写真があったので紹介します。

 記事には光化門の他に北小門(彰義門)のことも書かれています。当時の文化財庁長がソウルを世界歴史都市に登録するため「ソウル歴史都市造成の計画」を発表しました。そして長官は、「日帝強占期と解放後の無分別な都市計画で破壊されたソウル城郭と光化門を徹底した歴史的な考証を経て、昔の姿をそのまま再現する計画」と明らかにしました。
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左上:道路で城郭が分断された北小門 左下:城郭の修復予想図
右上:道路造成時と考えられる北小門 右下:現在の北小門(グーグルストリートビュー)

 右上が山を崩して道路造成したため城郭が途切れている北小門の写真。左上下の写真が東亜日報に載った写真で、ソウル歴史都市造成の計画をうけて北小門の途切れている城郭を探訪路にした復元予想です。「昔の姿をそのまま再現」と言う発表だったので、同じ写真(通っている車が同じなので)を加工して作ったようです。

 そして右下が現在の様子。グーグルストリートビューで見たものです。探索路ではなく一般生活道路が造成されていましたwww。
 
 もちろん今は城内側が整備されています。先ほどの「現在の北小門」と書いている写真で言えば右側方面で、大きな道路から坂を登ると門になります。門の登り口には案内板の他、1968年1月に起きた北朝鮮ゲリラによる青瓦台襲撃未遂事件で殉職した警察官の像があります。また近くの松の木にはその時の銃弾の跡があるそうです。
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左上:北小門(城内側) 右:青瓦台襲撃未遂事件で殉職した警察官の像
城郭近くの松の木にある銃弾の跡


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左:映画「シルミド」、右上:事件を伝える新聞 右下:今年行われた対ゲリラ訓練

 今年1月には、事件から45年になるのに合わせ、韓国軍は工作員部隊と銃撃戦になった現場付近で対ゲリラ訓練を公開しました。訓練は装甲車で出動した部隊が武装した工作員2人を制圧するなどの想定でしたが、朴正熙氏の娘の朴槿恵氏が2月に大統領に就任するのを前に、軍は兵役中の歌手Rain(ピ)も広報役として参加させて市民参加行事とし「安保意識の向上」を呼び掛けたそうです。この時、過去のゲリラ事件で工作員が使った銃器が展示されました。

 現実に想定できることとして市民も含めた「安保意識の向上」イベントにしようとする国との違いでしょうか・・・日本では、今年4月に陸上自衛隊が弾の入っていない銃をイベントで市民に触らせたのは、銃刀法違反だとして、市民団体が陸自幹部らを刑事告発したそうです(J-castニュース 2013/04/11)。ただ告発した際に使われた写真は、別なイベント(2007荒川新そば祭り本祭)でのモデルガンを使ったイベントだったそうですが・・・。

 その後、朴正煕大統領は事件直後の1968年4月、北朝鮮への対抗策として青瓦台を襲撃した北朝鮮工作員の人数と同じ31人の隊員からなる金日成暗殺部隊、通称「684部隊」を結成します。そして部隊は、仁川沖合の実尾島で3年間訓練を受けましたが、1970年以降の南北融和の流れが加速したために1971年に計画は撤回されてしまいます。宙に浮いた存在となってしまった684部隊は、1971年8月23日大統領に直訴するためバスジャックをしてソウル市内に向けて進み、軍・警察との銃撃戦の末に自爆しました。この時助かった4名の隊員も後に軍法会議で全員死刑になってしまいました。(実尾島事件)

 この実話を基につくられたのが映画「シルミド」です。「シルミド」と言うのは彼らが訓練を行った島の名前です。映画では、死刑囚や無期懲役囚などを隊員としていますが、実際には高額の特別報酬を提示しての募集に応じた一般市民が大半を占めていたようです。このことについて韓国政府は長い間隠してきましたが後に資料が明らかになり詳細が明らかになりました。そして2003年映画が公開され一般の人の関心が高くなると、韓国国防部では34年経った2005年に「実尾島部隊」の部隊員の遺族に対し死亡通知書を正式交付しています。
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事件を伝える当時の新聞

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。あなたのブログをとても、楽しみにしています。しかし、下手な歴史の先生顔負けですね。お世辞抜きに尊敬します。だいぶ、勉強になりました。
けん
2013/05/11 19:36

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