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zoom RSS 南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その7

<<   作成日時 : 2013/05/12 02:27   >>

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■西小門付近のこと
 
 「南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その5」で西小門(昭義門)のことを書いたとき、次のようなことを書きました。

 (西小門跡の)石碑には「日帝により1914年撤去された」と書かれているようです。ところで「南大門修復記念 「ソウルの城郭」 その3」に西大門のことを書きましたが、西大門は1915年に電車複線化などが理由として取り壊されたとされていますが、単線すら走っていない西小門なので、道路拡張と言う理由の都市整備のため撤去したとしても西大門より先の1914年に撤去されたというのは根拠としては弱いような気がします。

 では、京城における日本人を含む外国人の居留状況はどうだったのでしょう。

 日韓歴史共同研究報告書第一期第3分化報告書の中に「植民地都市イメージと文化現象 -1920年代の京城-」と言うのがあります。執筆者は韓国の全遇容ソウル市立大学ソウル学研究所常任研究委員だそうです。

その「植民地都市イメージと文化現象 -1920年代の京城-」の中に次のような記述があります。

 2.民族別居住地分離と南北村
 日本の民間人がソウルに居住し始めたのは1882年からで、彼らの居留地が明示的に確定したのは1885年のことであった。1885年に朝鮮政府が日本人居留地として南山の麓を指定したのは、この一帯を位階上低い空間として認識してきた慣行と無関係ではない。

 いわゆる南村と呼ばれてきた南山の麓は、朝鮮後期には武官や商人・小論などの劣勢両班が主に居住していた地域であり、特に日本人居留地として割り当てられた「公使館を基点として領事館から北に向かう小さな道の両側と、その西側の端から後に本町1丁目になる道の東側の端部分までの区間は「ジンゴケ」と呼ばれ、地質が良くないために勢力のある人々は居住をされたところだった。

 当時、朝鮮政府は外国人のソウル居住をやむを得ず許容しながらも、彼らが宮闕と官衙が密集している北村(清渓川以北)まで浸透することは、極力阻止しようとした。その結果、西欧諸国の公館と中国、日本公館はすべて清渓川以南、または以西地帯に配置されたのである。


 その論文の中の「日本人居留地の拡散過程」と言う図を見てみると上記の記述がわかりやすくなっています。
 
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「日本人居留地の拡散過程」

 上図からわかるように街の中心を東西に走る鍾路を挟んで朝鮮王朝と高級官僚・両班の居住区です。では南側の南山麓にあったという日本人居留区はどういう所だったのか、明治39年(1906年)の荒川五郎著「最新朝鮮事情」に書いている日本人居留区の事を紹介します。

○京城内も他の居留区と同じく不衛生であるけれども、我居留地では、去る三十四年度に於いて、一万円の居留民債を起こして、道路の大改修を行うと同時に、又暗渠(注:地中に埋設された水路)を設け、且つ道路の左右に下水の溝をつくったからながし水や雨水の排泄がやややや完全になってきた。

○こうして居留地内は、道路でも時々公費(*)で修繕を加えるから、朝鮮人街のように不潔でもなく塵や埃もたたない。
(* 公費とは、居留民役所が居留民から徴収する課金や居留地共有財産生じる収入から居留民会にかけて教育、土木、衛生と言ったことに使いました。)

○次に飲み水のことであるが、京城の井戸の水は大抵皆不良で塩気を含んでいて、飲料に適するものは僅か二つか三つしかないが、朝鮮人は一般に水の良否など頓着しないから、しいて不自由を感じないけれども日本人は常に良い飲料水に事が欠けるので、困っているうち長崎県の林田亀男という人が去る三十五年六月から水道布設の目的で、南山を調べて水源を得、領事館に願い出て条件付きの特許与えられた。

○この水道は同年七月の末に布設工事が出来上がり、八月一日から相当の代価をもって居留民に飲料水を給することになった。これは水の質も良いので、居留民の衛生上には少なからず利益を与えることとなった。しかし水量が十分でないのが遺憾である。


 またもう一つ地図を見てください。西小門付近と南大門付近の地図です。白い枠はフランス、ロシア、イギリス、アメリカ公館です。また緑の枠では上の方にあるのは梨花学堂(現在の梨花女子大学)で、1886年に米国のメソジスト派宣教師メアリースクラントンが初めて設立した女子教育の塾です。下の方は培材学堂(現在の培材大学)で1885年アメリカ系メソジストの宣教師のH.Gアペンゼラーによって建てられた朝鮮初の近代教育機関です。 
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左:西小門付近図 右:南大門付近図

 左図の下に「新倉洞」と言う文字が見えます。それは右の南大門付近図で「宣恵新倉」にあたります。南大門の近くに「宣恵倉」と言うのがありますが、「宣恵」と言うのは朝鮮時代に米・布・銭の出納を所管する役所のことを「宣恵庁」と呼んでいました。そこが管理する倉のことです。従ってその倉付近には地方の特産物なども含めそれらを売買する市場が発達しました。それが現在の南大門市場です。

 このように京城は日本人居留区の南側と西欧諸国の居留が多かった西側、そして鉄道や港湾、道路の発達と共に人や物流の中心となった南大門付近がどんどん栄えていくことになります。そうすると京城中心地へ向かうための道路等が必要になり、門や城郭は邪魔になって西大門から南大門にかけての城郭が撤去されていきます。従って西小門も早くに撤去されたと考えられます。

 これは西大門から南大門方向を写した写真で、白く高い建物がフランス公館になります。城郭に寄り添うように建てられていることがわかります。 
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 こうなると気になるのがかつては京城の中心であった鍾路付近の様子ですが、以前「日帝警察による悪行」中央日報日本語版に載った『日帝警察 「1カ月間に便所1500個設置」強圧的命令』を紹介しました。詳しくはそちらを読んでもらうとわかりますが次のようなことが書いています。
 
 1920年代半ば以降、都市人口が増加し、郊外地域が産業化されるに伴い、臭いと衛生に対する新たな‘価値観’が形成され、糞尿問題が都市民の関心を集め始めた。住民は当局に糞尿処理人員の配置を増やすよう要求したが、日帝当局は朝鮮人の衛生観念不足に責任を転嫁した。日帝当局は特に、ソウル中心の鍾路に悪臭が立ち込めるのは大通りの商店に便所がなく、商人が小便壺の中身を路上にむやみに捨てるからだと診断した。

 1932年7月、鍾路警察署は鍾路大路の商店に対する全数調査を始めた。1535戸の商店に便所がないことが確認され、警察は1カ月以内に便所を設置するよう指示した。8月31日、警察はその時まで便所を設置しなかった735戸の商店を摘発、2-3日以内に指示を履行しなければ厳罰に処するという最後通告をした。商店主は慌てて狭い店の隅に粗末な便所をつくり、警察は1カ月間になんと1535個の便所をつくる‘実績’を上げた。


 まるで最近の日本でも見られるような郊外型ショッピングセンターに客が集まって、すっかり衰退してしまった昔の商店街を見るようです。それでも自分たちが自ら工夫などして何とかしようとするのであれば希望も持てますが「日帝当局は朝鮮人の衛生観念不足に責任を転嫁した」と言うようでは・・・。



■韓国と言う国のこと

 「自分たちが自ら工夫などして何とかしようとするのであれば希望も持てますが・・」と書きましたが、当時の韓国はどういう国だったのでしょうか。荒川五郎著「最新朝鮮事情」から「韓国の国體」を抜粋して見ます。

○此の大韓国は他の国と違って、その王室は決して国民と其休戚を共にするということはなく、只貴族のみは王室と利害を共にしているようであるが、それでも国王の信任を得たものはその恩沢に預かって利益も享けるが、その他はそうで無い。であるから誰も彼も国王に取入ろうとして種々に魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢実に醜状、随ってその間に立って侍女や宦官、官妓、巫女などがうまいことをやるのである。

○常民に至っては気の毒なもので、税を納めたりその他尚義務と言うものはあるけれど権利と云うては更に無い。王室の普請やその他慶び事や弔い事など、その入用を割り付けられたり、いろいろ虐められるとはあるが、さらに王室の恩沢を蒙ると言うことは無い。それは実にあはれなものである。

○上のものも下のものも、皆唯自身のことばかり考えて、さらに国家と言う概念が無い。朝廷ではドシドシ租税を取りたてるが、それは国家の用にするのではない。国王も大臣も観察使も群守も、皆自身の為のみ思い、わが家を富まそうと勉めるのみである。

○常民もまた国のためなど概念は毛頭もないので、余計に儲ければそれだけ又余計に取り立てられて手元には残らないからと言うので惰けられるだけは惰け、遊ばれるだけは遊び、田や畑や山や林やなど之を仕立てたり、手をかけて、確実な財産を作ろうなどいう考えはないらしい。この点が即ち朝鮮の今日の有様を致す所以でもあろうか。


荒川五郎著「最新朝鮮事情」は近代デジタルライブラリーで読むことができます。

「近代デジタルライブラリー」 荒川五郎著「最新朝鮮事情」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869









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