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zoom RSS 慰安婦をテーマとしたアニメが酷い

<<   作成日時 : 2014/01/30 16:02   >>

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 フランスで2014年1月30日から開催される「アングレーム国際漫画祭」で、韓国政府による従軍慰安婦問題をテーマにした漫画やアニメーションなどが展示 されるそうです。

 この慰安婦をテーマとして出展されるアニメーションの一つ「Her story」は2004年他界したチョン・ソウンさんの証言を基にしたアニメーションのようですが・・・・・。

見れないときは:https://youtu.be/aEm6VYRjmCM



 アニメーションでは、牢に入れられた父親のために娘が日本の工場に行くことにしたけれど慰安婦にされたという内容です。

 チョンさんが慰安婦被害申告をしたのは1992年のことです。この年1月、『朝日新聞』が一面トップで吉見義明中央大学教授の防衛研究所における資料発見を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報じました。

 その翌月(2月25日)から韓国政府は国の市・郡・区役所に被害者申告センターを設置し、被害申告と証言の受付・調査を実施しました。
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クリックで拡大します


 そして同年7月31日「日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書」を発表しました。

 その報告書は、挺身隊被害申告センターに寄せられた証言を基にしていますが、申告できる対象は、「女子挺身隊、女子愛国奉仕隊などの名で連行され,日本軍慰安婦生活を強要された人」に限定されています。つまり、単に慰安婦をしていただけでなく「挺身隊などの名で連行された人だけ」が対象です。そして集まった74証言のうち13証言が7月31日に中間報告書として発表されました。

 この証言の一つがチョン・ソウン(鄭書雲or鄭書云)さんの証言で、この証言を基にアニメーションが作られたのです。当時はプライバシーに配慮し名前の公表はされていませんが、1995年北京で開かれた世界女性大会に、日本軍慰安婦の韓国代表として参加しました。

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 発表された中間報告書は韓国で大きく取り上げられ、新聞によっては2回に分けて記事にされています。その一つ、京郷新聞の記事を紹介します。

■京郷新聞(参照:犬鍋のヨロナラ漫談さん
 1938年8月、日本の警察の真鍮製食器上納要求を拒絶し、創氏改名に反対したという理由で家族がみな警察署へ連行された。このとき、里長が愛国奉仕隊に志願すれば父親が釈放されるかもしれないと勧めたので、自ら志願、その途中で従軍慰安婦として連れて行かれた。ジャカルタにある慰安所に連れて行かれる途中、中国の広東で不妊手術を受けた。1946年3月ごろ,米軍の助けでジャカルタから船に乗って帰国した。


 また日本では毎日新聞が1992年8月日に7証言を記事にしていますが、その一つがチョンさんの証言です。

■毎日新聞(1992/08/01)
 1938年8月、日本式の名前に強制的に変えさせる「創氏改名」に反対したことを理由に家族が警察に連行された。「愛国奉仕隊」に志願すれば父が釈放されると聞き志願した。しかし、すぐに慰安婦にされジャカルタに連れて行かれた。途中で不妊手術を受けた。46年、船で帰国した。


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 当時は「創氏改名」の方がインパクトがあったのでしょうか、実際には牢に入れられた理由は「金属供出に反対」したからと証言しています。
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 さて韓国で慰安婦問題を扱っている女性家族部は「日本軍慰安婦歴史館(eー歴史館)」というサイトを運営しています。その日本語のサイトでは鄭書雲さんを含め現在33人の証言がDocファイルで参照できますが、女性家族部が運営しているサイトですので正式な証言記録として見てみます。

■鄭書雲 
 1924年        慶尚南道河東(ハドン)郡生まれ
 1937年 (14歳)   区長による就職詐欺で連行
            (注:正しくは里長
 1938年 (15歳)   インドネシアのスマランで慰安婦生活を始める
 1945年 (22歳)   日本の敗戦後、シンガポールの収容所で生活
 1992年       慰安婦被害申告
 2004年       死去

その証言記録では、アニメーションで描かれているのと同じく「区長による就職詐欺」となっています。

 @父は創氏改名に反対していたが地主だったので捕まらなかった。(日本人に目をつけられていた)
 A金属供出に反対し、金属類を埋めて隠したことが見つかり牢に入れられた
 B里長に「日本の千人針工場へ行けば父が牢から出られる」と言われ自分から志願した
 Cインドネシアのスマランに連れて行かれて慰安婦になった


 証言に出てくるイベントはその年月がはっきりとわかるので、証言の整合性をチェックすることができますし慰安婦になった時期も推定することができます。

  @創氏改名制度は1940年2月から8月の期間
  A法的強制力が設けられた金属回収令が朝鮮半島で施行されたのは1941年10月から
  Bインドネシアに日本が進行したのは1942年2月
  C半島における民間業者による集団的職業募集の開始は1939年9月(民間斡旋)


 以上から、証言どおりならば慰安婦にされたのは1941年10月以降となり証言とは異なります。

 数え14歳の時ならば1924年ではなく生まれたのは1928年でなくてはなりません。一方1924年生れが正しいのであれば1942年は数え19才となり、慰安婦生活も証言の半分くらいになります。どちらが正しいのでしょうか・・・年齢に関して証言の中に次のような記述があります。

ある日、「出て来い。船に乗るぞ」って言われて。そのとき、数百人、数千人はいたんじゃないかな、たぶん。18歳、19歳、17歳、16歳…それぐらいの年頃の女の子たちが集まっていたんだけど、その中でわたしが一番幼かったはず。あっ、わたしよりもひとつ年下の子がいたな、そういえば。

最初に、将校が入って来たんだけど、泥酔していてね。どんなに恐ろしかったか、恐怖に怯えていたんだけど、ほら、わたしが一番幼かったじゃない。みんな、18歳、17歳、19歳ぐらいだったから。結局、強姦されて、この話をすると今でも全身に鳥肌が立つわよ。言葉でなんて表現できない。

14歳のときに連行されて、船の中を過ごし、15歳のときから軍人の相手をさせられたから、15歳、16歳、17歳、18歳、19歳、20歳、21歳、22歳になって解放されるまでずっとアヘン注射を打ったってことになるわよね。

 本人の証言にも「一番若い」「7年間の慰安婦としての生活」・・・となっていますので「1924年生れで14歳の時に慰安婦となり7年間の慰安婦生活」が正式なことになっているのですが、チョンさんが亡くなった時中央日報も「13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として生きなければならなかった」と書いていますが、そうすると先ほど示した時期と合わないということになります。


 結局、「挺身隊などの名で連行され慰安婦となった人」と言う事が申告に必要なため色々な理由を付け足さざるを得なかったけれど、結果としていろいろ辻褄が合わない証言になってしまったのではないかと思われます。これをそのまま信じろというのは無理な話です。

 父親のことがなければ単なる「里長による就職詐欺」によるものですが、1938年では朝鮮半島における自由募集も始まっていませんし、千人針工場って何?・・・ということになるので「就職詐欺」というのもどうなの?と言うことになります。

 当時は中間報告書として証言のみで暫定的に発表ということで検証もされなかったのかもしれませんが、その後も検証されないまま、証言を基にしたアニメーションが作られ、日韓以外の第三国にまで広がっていくことに驚きを感じます。


 「検証もされず・・」と書きましたが、実際に「たかじんのそこまで言って委員会」でも田嶋先生がこの鄭書雲さんの証言を取り上げたことがあります。

2012/09/30「たかじんのそこまで言って委員会」(9:55頃から)


 田嶋先生もTV番組での発言ですから多少なりとも演出的なこともあるのかもしれませんが、「創氏改名に反対し日本の官憲によって牢に入れられた」と言っているように証言内容に関して、何の疑問を持たず、検証等もしない受け入れ、マスメディア等で発言されているように思えますが・・・どうなのでしょうね。


02/04 追加
 松嶋あすかさんというフリーのアナウンサーということですが。昨年の橋本市長による慰安婦発言の際にツィートしたようです。 「ほとんどの真実がここにある。15歳少女の実話」だそうですが・・・やれやれですね。
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03/19追加 1991年8月1日の毎日新聞記事です。
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■韓国政府が従軍慰安婦の中間報告書発表 生々しい証言明らかに(1992.08.01 大阪朝刊 3頁 3面)
【ソウル31日薄木秀夫】

韓国政府は三十一日、従軍慰安婦に関する中間報告書を発表したが、報告書の中には、日本の軍、行政機関が強制的に徴集した様子や当時の悲惨な生活を語る元従軍慰安婦十三人の証言が収められた。過酷な体験の記憶をたどり、青春を奪った日本の「過去」を告発している。そのうち、七人の生々しい証言を紹介する。

 (1)一九三八年八月、日本式の名前に強制的に変えさせる「創氏改名」に反対したことを理由に家族が警察に連行された。「愛国奉仕隊」に志願すれば、父が釈放されると聞き、志願した。しかし、すぐに慰安婦にさせられ、ジャカルタに連れて行かれた。途中で不妊手術を受けた。四六年三月ごろ、船で帰国した。

 (2)四三年一月、一人で家で留守番していると、見知らぬ男が入ってきて「用事がある」といって連れ出され、そのまま満州(当時、現在の中国東北部)に移動させられた。二坪の部屋で一日平均二十人の軍人の相手をした。拒んだり、韓国語を使うと殴られた。一週間に一度、性病の検査があり、感染者は、治療を受けたが、完治すると再び、元の生活に戻った。

 (3)四三年九月ごろ、釜山鎮駅前で日本の警察に連行された。警察署で待機したあと、船で大阪に連れて行かれた。慰安婦生活に苦しみ、脱出をはかったが、捕まり殴られ負傷した。治療も受けさせてもらえず、慰安婦生活を強要された。

 (4)三七年四月、日本人から砂糖工場で働かないかといわれ、現地に行ったら日本軍の慰安所だった。南洋諸島でいろいろな島に連れて行かれた。

 (5)四一年二月ごろ、日本人女子一人と韓国人男子一人がやってきて、釜山の工場への就職を勧誘した。約五十人が移送された。日本で強制徴発され、日本軍部隊で一日十二−十五人の相手をさせられた。部隊の移動により、シンガポールに移送され、そのあと、中国各地を転々とし、慰安婦生活を強要された。現地では、年齢が高い人の半分以上が死んだようだ。

 (6)三八年十二月、家に軍人二十人がやって来て銃剣を突きつけた。強制的に軍用トラックに乗せられ、倉庫に押し込められた。十五人の女性とともに列車に乗せられた。途中の駅でほかの十五人の女性と合流、中国の天津の「日の丸部隊」に到着した。

 (7)四四年九月、紡績工場で夜間操業中、武装した日本の軍人が十五人入ってきた。かれらは「日本で看護婦で働くことになった」と話した。おかしいと気がつき逃げたが、四十九人が捕まった。横浜と広島で慰安婦として働いた。軍人と同じ生活を強いられ、自由はなかった。四十九人のうち生き残ったのは自分だけで、自殺したり、病死した。


■「従軍慰安婦は強制連行」の韓国報告、「調査方法の差」−−外務省(1992.08.01 東京朝刊 2頁 2面)

 韓国政府が発表した従軍慰安婦問題に関する実態調査中間報告書について、英(はなぶさ)外務報道官は三十一日の会見で、「従軍慰安婦問題を考えるに当たって参考にしたい」と述べた。

 韓国側の報告書が、政府や軍による従軍慰安婦の「事実上の強制連行」の事実を指摘している点が日本側の調査結果と異なっているが、英報道官は「日本としては、関係省庁の資料を誠心誠意探したが、強制的に連行されたことは出てこなかった」と説明した。

 しかし、これについて政府は「あくまでも調査方法の差だろう」(外務省筋)としており、「日本のおわびや反省の気持ちは強制連行の有無で違うものではない」(同筋)との立場を強調している。

 また今回の発表は、インドネシア誌の報道でオランダ人従軍慰安婦の存在が明らかになった直後だけに、外務省は「従軍慰安婦問題は欧米など外国にも広く知られるようになり、深刻に受け止めなくてはならない」(同省幹部)として、可能な限り早期に「なんらかの措置」の結論を出したい意向だ。

 韓国側は従軍慰安婦問題の処理について「日本政府と交渉するつもりはない」(在日韓国筋)と、日本政府が自主的な判断で妥当な結論を導き出すことを期待している。


■強制徴集「奴隷狩りのよう」 実態調査中間報告受け韓国各紙−−従軍慰安婦問題(1992.08.01 東京朝刊 3頁 3面) 【ソウル31日薄木秀夫】
韓国政府が三十一日発表した従軍慰安婦の実態調査中間報告書にからみ、韓国紙はいずれも「日帝、全面介入」などの見出しを掲げ、日本の軍、行政機関が従軍慰安婦の募集をはじめすべての段階で直接関与していた、と大々的に報じた。

 韓国紙は実態調査の結論を受けて、募集過程で「強制徴集」は裏付けられなかったとしている日本政府の立場を批判しながら、戦局に応じて拡大した「募集方法」を厳しく追及している。 夕刊紙「東亜日報」は、一面トップで「三八年『人身売買』、四〇年『強制徴発』、四三年『ドレイ狩り』」というショッキングな見出しを掲げ、「実際、証人らの証言は、過去のアフリカ大陸の奴隷狩りのような状況を生々しく伝えている」と伝えた。








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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
再開ありがとう。とても、楽しみにしていました。
けん
2014/01/30 20:18
日本人としてはこんないい加減は証言は全く信用に値しないと考える。だが半島人は細かな事実の祖語なんて全く意に介さない。自分の願望と情念が優先するので、事実関係の矛盾なんてどうでもいい連中だ。日本は酷いというネタさえあれば彼らにとってはそれが事実となるんだ。
ぶひ
2014/02/03 00:38

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