韓国の人に答える竹島問題 Q&A

ryoma08(beatmed) / 作成時間 : 2010-09-11 18:48

竹島(独島)が日本領なのは国際的には常識ですが、韓国では「韓国領」と教育しているので誤解している青IDの方が大勢いらっしゃいます。そこで、青IDの人々がよく口にする疑問にFAQ形式で答えます。

Q: 1905年独島島根県編入は不法だ!
朝鮮の混乱する振ることを狙って領土を強奪しようと思った歴史を言うだけだ!

A: 1905年当時大韓帝国は領土の一番東は鬱陵島としていた。(大韓地誌参照)

つまり、その頃竹島(独島)は韓国の領海外だったのだ。それに古来日本の漁民がつかってきた島で(朝鮮漁民の来訪の記録はない)、19世紀の西洋諸国の地図でも日本領としているものが多かった島なのだ。
竹島(独島)に朝鮮人がたどり着いたという記録はまったく無い。鬱陵島では、江戸時代に朝鮮人がいた形跡(朝鮮草鞋など)が見つかり、両国の間で領土紛争が起こったが、同じ時期に竹島(独島)に朝鮮人は来ていなかった。
それを『正式に』日本の島根県に編入しただけで、何の問題もなく日本領になった島だ。当時の大韓帝国はもちろん抗議もしていない。明らかに国際法上日本のものだった島だ。

(参考):主要誌での大韓帝国の東限

1899年の「大韓地誌」(玄采:著)には東端は東経130度35分とされている。
1907年刊の「初等大韓地誌」(安鐘和:著)でも東経130度58分とされている。
同じく1907年に出された「大韓新地誌」(張志淵:著)でも東経130度58分
1909年刊の「最新高等大韓地誌」(鄭寅琥:著)では「大韓地誌」と同じ東経130度35分としている。
1909年の「韓国水産誌」(統監府農商工部水産局:編)では東経130度42分としている。
戦後、崔南善が1947年に出した「朝鮮常識問答」には東経130度56分23秒と、朝鮮総督府と同じ位置が明記されている。

いずれも鬱陵島の位置を示す経度であり、竹島(独島)のある東経131度52分は大韓帝国の領土外であった。
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●Q: 1905年なら朝鮮が外交権を喪失した連帯ではないか?
日本が武力で占領した領土は自然韓国が独立して取得しなければならない領土だ。明らかに独島が日本領土と認めた国はなくて。

A: 外交権を失くしたということは外国との条約を勝手に結べなくなったことを意味するが、国としての主権は失っていなかったので、日本に抗議することは出来た。

現に1906年に日露戦争の時に、朝鮮半島の土地を接収して作った望楼の跡地の払い下げの問題で、大韓帝国が日本政府に抗議している。ところが、独島については鬱島郡主からの報告を受けてその島について『調査せよ』と命令が出たが、その後日本政府に抗議した形跡が無い。それもそのはずで、大韓帝国の領土は鬱陵島が最東端だったので、これより92km東の独島は大韓帝国領外だということが分かったから、抗議しなかったのだ。
島根県編入時、どこの国も抗議しておらず、国際法上日本領土と確定している。このことは1952年のSF平和条約でも確認されている。

なお、日本は武力でこの島を占拠したことは一度も無い。武力を使ったのは大韓民国だけだ。

●Q: 独島は鬱陵島の付属島で鬱陵島とその部属島に当たり前独島は含まれる!

A: 鬱陵島の属島は独島ではなく、于山島だ。
于山島は独島とは違う島であることは「三国史記」を読めば明らかだ。

(参考):『三国史記』より

「于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里」(于山国は溟州[現在の江原道江陵市]のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島といい、周囲は百里[約40km]四方ある)とも書かれており、于山国は当初は鬱陵島だった。
そもそも鬱陵島の属島だというのなら、SF平和条約の前段階で既に鬱陵島は朝鮮に返還させる予定の島のリストに入れられていたのに、何故1951年に在米韓国大使は「独島」を韓国領にしてくれと請願したのか?
この事から韓国政府が独島を鬱陵島の属島では無いと見做していたことが分かるだろう。


●Q: 17~8世紀 独島近海へ来て不法操業をした過去を搖り動かして 独島を領有した歴史的記録でありなさいと主張する日本人がいる 。
泥棒民族が横に島国にあるね 。韓国人は我に返らなければならない。

A: 17~18世紀には朝鮮人が竹島(独島)まで来訪したとする記録は一切無い。
日本の漁民はここで定期的に操業していた。

17~18世紀の時代はむしろこれより92km西の鬱陵島が日韓の紛争の舞台だ。朝鮮の空島政策のため、鬱陵島には人が住んでおらず、日本の漁民が80年間にわたりここで操業していた。日本漁民がここで操業していたことは朝鮮も承知していて、流されて半島に漂着した日本漁民は保護されて丁重に送り返されている。そのことから日本では鬱陵島は日本の島と解釈されていた。現代の国際法でもeffective controlされていなかった島なので、朝鮮の島と主張出来ない状態だった。

しかし、この島を巡り紛争になった時、江戸幕府は朝鮮との友好関係を重く見て、『渡航禁止』としたのだ。いずれにせよ、鬱陵島には日本漁民が出漁しており、竹島(独島)はその鬱陵島より92km日本よりなので、朝鮮人は渡ってくることは無かった。したがって、元々朝鮮の領域ではなく、日本漁船が不法操業した訳ではない。

●Q: 独島という名称の来由でも韓国固有の領土ということを言ってくれる

A: 独島の名前は日本人に雇われた朝鮮漁民(済州島や鬱陵島出身者が多かった)が1904年頃付けたものであり、故郷の島から遠く離れた『孤島』であったため、こう呼んだものだ。

1904年より以前にはこの名前は無かった。

1904年当時は「独島」という名称は一部の朝鮮人漁民だけが使う俗称だった。一般化していなかったので,1906年に鬱島郡主が日本の竹島の島根県編入に際して「独島」の名前で報告をあげたが、江原道の役所も、中央政府の役所もこの「独島」という島がどこにあり、どのような島なのか分かっていなかった。そのため、鬱島郡主に島の詳細を調査せよと中央から命令が出たほどだった。

「独島」という名前が韓国で一般に知られるようになるのは戦後になってからのことである。この「独島」という名称の由来から韓国領土という主張はできない。

●Q: 西洋人が独島鬱陵島を日本の領土として地図製作したらそれは間違いで直さなければならない問題だし証拠の根拠ではない。だから独島が日本領土という証拠の 古地図はなくて近世西洋人のよった 地図によって言うね ?西洋人を 神と思うのか?

A: そうではない。上にも書いたとおり、当時の大韓帝国の領土の東端は鬱陵島だということは常識だったのだ。

イザベラ・バードが書いた本にもそう書いてある(当時の英国人の旅行には英国大使館が全面協力しており、序文も大使が書いているが、英国からの公式情報を基に執筆されていたのがあの紀行文だった)。

西洋の地理学者の間でもそのことは充分知られていたのだ。朝鮮が竹島(独島)を領有した、というのは現代韓国人の幻想だ。それはとりもなおさず、李承晩の不法行為から始まったプロパガンダのせいだ。このことを証明するデータは今まで明かした通り、数多く存在する。現代韓国人はいい加減にプロパガンダ教育による嘘から目覚めるべきだ。

●Q: 日本政府は独島が韓国領だと認めたはずだ。

A: 認めていない。
1877年の「太政官指令」では島根県の「日本海のタケシマと他の一島を島根県管轄と考えてよいか」という問い合わせに応えて調査の結果、その島は江戸時代に紛争になった鬱陵島のことであり、日本領では無い(つまり島根県の管轄では無い)と回答したものである。

この当時の地図ではアルゴノート島(測量ミスのため生じた実在しない島)を「タケシマ」、ダジュレー島(鬱陵島)を「マツシマ」としていた上、西洋の地図では日本領としたものが多かったため、島根県がこの二つの島を管理すべきなのかどうか迷っただけだ。なお、現代の竹島(独島)はこの当時は「リアンクール列岩」、「りゃんこ島」などと呼ばれていた。

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(1856年、コルトンの地図。アルゴノート島に「タカシマ(タケシマ)」、ダジュレー島に「マツシマ」の名前が入れられている。)

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【参考】 こちらも、交流サイト内でまとめられた『竹島関連』です。

【リンク】 『独島は韓国の島ではありません』
【リンク】 『竹島とサンフランシスコ平和条約』
【リンク】 『竹島VS独島 結論&Q&A』


【竹島は日本の領土です】
リンク 【島根県 Web竹島問題研究所】
リンク 【外務省 竹島問題】

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