日帝時代の「米収奪」について考える その3

日帝時代の「朝鮮では日本に輸出するため米を奪われ、安い満州粟を食べなくてはならなかった」というのをよく目にします。その理由に「米の生産量が増加したのに一人あたりの消費量が増えていない、むしろ減っている」ということが書かれているのを目にします。

さて元々朝鮮の人たちは何を食べていたのでしょう。1915年の満州日日新聞にそのことが書かれています。



粟の朝鮮輸出

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本年三四両月に於ける安東県通過満洲粟の朝鮮輸出額は三月に二千四十噸四月に二千五百二十噸あり其後の状況に就ては未だ調査せられたるもの無きも之に準じて相当輸出あるは疑を容れず更に新粟の搬出期に至らば例年の如く朝鮮輸出を見るべし。
満洲粟の朝鮮輸出は安東県通過の他に大連港経由のもの少なからず過去に於て輸出額の最も多額なりしは大正二年にして昨年は輸出額著しく減少し本年も前年同様減少の見込なり。

元来粟は朝鮮人の常食にして従来南方地方は米食による者無く時に米粟混合して食するを普通とせるも北方地方に至りては全然粟のみを常食とする風習なりしが近時外米中の砕米比較的安価に入込むを以て砕米は漸次粟を圧倒する傾向あり其の勢力侮るべからず。

若し内地米及び外米の消費増加せんか自然粟の需要縮少さるる訳にて随って満洲粟の朝鮮輸出も減少するに至る可し。

要するに朝鮮人は粟の時価と米の時価とを比較し若し一方が高価なる際は直ちに他方を求むると云う風なれば米価の高き時は粟の消費量増加すべきも一朝米価の下落を来さんか朝鮮人の大部分は粟食を廃して米食を取るに至るべし

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一般朝鮮人は古来より粟を以て常食とせるも米の美味は到底粟の及ぶ所に非ざるは彼等と雖も尚克く之を知るされば一度米価下落せんか忽ちにして米食に趣るは先に述べたるが如し故に満洲粟の朝鮮輸出は一に以て米価の高低に左右せらるると云うも不可ならず。

なお朝鮮人は満洲粟は外見黄色にて美麗なるも味は朝鮮産に劣ると称し居れりと

満州日日新聞 1915.9.9(大正4)


要は、元々朝鮮では粟が主食で、南方地方では時折粟と米を混ぜて食べていた。外米中の砕米の輸入が伸びてきて安い外米の破米が普及した。米の美味しさを知ってしまった朝鮮の人たちは結果として粟と米の価格を見ながら安い方を食べるようになってきた。従って今まで食べていた粟の需要も縮少していったので満洲粟の朝鮮輸出も減少した。つまり米価の高低に左右して満州粟の輸出も左右される。




満州粟と鮮米

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・先高の予想は一般に売惜しみの姿にて一般貯蔵米豊富の傾あり
・米価の昂騰を見んか恰も奔流堤を決するの勢を以て移出さるべきは勿論なるが米の流出に伴い之が代用食料品たる外国米粟の輸入又激増
・仁川港の如きは米四万一千石粟十万一千余石の輸入を算するに至れり而
・目下朝鮮に於る粟の自給は当分望む可からざるの状態
・同地方一帯(満州粟の主産地)は蜀黍を以て主産物とし常食物として之に充て粟の如きは副産物たるも消費額至つて少く其生産の大部分は輸出し得らるべきを以て一般農作物の不作或は防穀令等を見ざる限り朝鮮に於る需要を充すには充分たるべし



京城日報 1914.7.30(大正3)



売惜しみの状態で一般の貯蔵米が増えている。米価が高騰すると堰を切ったように流出するけれども外国米粟の輸入も激増する。仁川港では輸入の1/3が外国米だったという記事です。そして朝鮮の粟では自給できないけれども満州粟の生産地は蜀黍(コキビ)が常食物で粟は副産物で消費額が少ないので生産の大部分は輸出なので朝鮮の需要を満たすと書かれています。

輸入の1/3が米ですが、その輸入先の一つに台湾からの米(蓬莱米)があります。

杉野洋明さんの極東亜細亜研究所と言うブログに台湾総督府が発刊した「台湾の米」という本が紹介されていて、そこには台湾から朝鮮に

大正14年は、3万3806石、翌15年は5万1427石、そして昭和4年には12万3861石の移入があった

と書かれていることが紹介されています。つまり朝鮮半島では日本へ米を輸出し、満州からは粟、台湾から米を輸入して食べていたのです。さらに1915年1月1日の東拓総裁の記事を紹介します。



問題の米価に就て 東洋拓殖総裁 吉原三郎氏談

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どうも米が安いので農民は気の毒だが私の思うところでは何時までも米価が下落を続けては居まい。若しそれが際限がないとすれば農民は破産をする外はない、そんなことがあって堪まるものか。

不景気だ不景気だと云うが不景気が何時まで続くものではない景気はそのうちに直おるに相違ない。一体米が安いと云うのも果して実際に安くなる丈けの、下落する丈けの経済的原因ばかりで安くなったのだろうか。私は先年の米価騰貴が当然騰貴すべきより以上に騰貴した事であると信じて居る。即ち経済的原因の外に人為的原因が与かって力あることと信じて居るが故に今回の下落もまた当然下落するより以上に下落して居るものと思う。

即ち前の騰貴の反動が然らしめたと同時に人為的原因が手伝って斯様な次第となったものと思って居る。米価下落のために米を売ろうとするものは困って居るが自家の消費用に米を持って居るものは困らぬと言う人もあるが全然そうでもあるまいと思う。

一体朝鮮人は米が多く獲れても少なく取れても自分の経済に加減をせぬ従って高く売れても減収の場合や多く出来ても下落の場合には大に困る、是非もない訳である。併し乍ら収穫が多くて値が安い時の苦しみは如何に苦しくっても飢饉時の苦しみとは大に苦しみかたが異うものだ。

農民が米価の安い時には」売り惜みをして不可、只値の上る時を待って持米を売り控える、而かも彼等に籾を担保として金を貸すなどは是れ農民をして投機的慣習に耽らしむるものであって気を付けねばならぬという人もあるが安い時に他から米を買って置いて高い時に売って儲けようとする時には投機的の性質を帯びることになるが自分のものを少しでも値の良くなった時に高く売って儲けようというのは人情の自然であって投機ではない。それを一概に悪いと貶しつけることは出来ぬ。

売値から資本に対する利回りと生産費とを引いて少しでも余分の利益があって初めて商売になるのだ。それがなければ噸と商売にはならぬ。百姓だって損してまでも売る必要はあるまい。即ち彼等をして相当収利を見る時まで自重せしめるにはその間困らぬけの金を持たせねばならぬと云う訳になる。

それから茲に一つ考えて置かねばならぬ事は米が余計に出来たからと云ってそれ丈け多くの米が市場に出るとは限らぬという事である。米が高い時は農民は廉い満州粟などを喰って成る丈け余計に米を売るが、安くなった時には粟を喰った者が米を喰う様になる。少しずつ米を喰っても多数が集まれば大きな量になる。

そこで今年は大変な豊作だと云うに結局予想された程多く市場に出ぬという訳になるかも知れぬ。斯ういう事が米価に影響すえうようになる、声は声を大きくして上値に向いて行くかも知れぬ。恐らくそうなるだろう。

理屈は兎に角今年の七月の頃には米の値は良くなるだろうと私は信じて居る。余り悲観すたものではあるまい夫にしても目下の処米価問題と農民の境遇との関係に就ては適当の政策が大に必要だ。吾々は当局者と共に充分に此の政策の機宜に適して誤まりのなからんことを期するに努めねばならぬと思う。一年の計ば元日に在り、朝鮮半島が本年に於て一層経済的に発展して行くように百方思を凝らしたい次第である

京城日報 1915.1.1(大正4)


(農民が)自分のものを少しでも値の良くなった時に高く売って儲けようというのは人情の自然であって投機ではない。
百姓だって損してまでも売る必要はあるまい
米が余計に出来たからと云ってそれ丈け多くの米が市場に出るとは限らぬ
米が高い時は農民は廉い満州粟などを喰って成る丈け余計に米を売るが、安くなった時には粟を喰った者が米を喰う様になる。少しずつ米を喰っても多数が集まれば大きな量になる


と豊凶作よりも米価によって市場に出回る米の量が変わってくると書かれています。それは先の記事で紹介した「先高の予想は一般に売惜しみの姿にて一般貯蔵米豊富の傾あり」ということです。約10年後の記事には「年々増加する満州粟の輸入」と言う記事があり、朝鮮への輸入する外米や粟の関税撤廃の話が出てきます。ますます外米や粟が安くなるということです。



年々増加する満洲粟の輸入

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ハルピン商業会議所より朝鮮輸入外米撤廃に伴う輸入粟に関する影響程度および右に関し輸入粟に対する関税撤廃の要望運動を起すの可否を京城商業会議所に照会して来た。

速かに関税を撤廃して代用食糧としての粟の多量輸入を図り鮮米を出来るだけ内地に移出するを得策なりとするものと関税撤廃は趣旨としては可なるも、関税免除額だけ安く入って来るかどうかは疑問である一昨年の如きは総督府で粟関税の撤廃を調査しただけで満洲では買進み気構えに関税額以上に昂騰したことがあり、永久撤廃ならばよいが一時的では徒らに産地の懐を肥すに過ぎずとて撤廃反対論とに岐れ、具体案を得ず未了のまま散会し八日は役員会を開いて此の問題を審議することになった。

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一、大正八年の西鮮の大兇作の際農民の苦痛を救浜するため当局が極力満洲粟の輸入を奨励した爾来輸入量が増進傾向を辿っている

二、農家の経済観念発達により南鮮の農民は高価な米食では生活難を来すのと高価な米を売却して粟に代えその間の差額を利しようという考えが一般に普及して来た

三、鮮内粟の主産地で且つ主要供給地たる黄海、平安南北、咸鏡南北の諸地方に右の観念が普及し従って此の地方産の粟が殆ど同地方で消費され従って他地方に供給する余力は僅かに二割程度である

四、米作其他の普及により粟の主産地たる西北鮮地方で粟作を喜ばずその将来は多くを期待できぬのみか収穫高は近年減収に傾いている等であるが、最も注目すべきは、鮮内における満洲粟需要増加と共に相場は漸次昂騰し、満洲における買付相場も勢い強気となり、鮮内におけるが如く農家の食用消費は相場の安い高粱に移り粟を市場に持ち出すことである。


京城日報 1927.3.9(昭和2)


朝鮮輸入外米の関税撤廃論議とともに輸入粟に対する影響や関税撤廃の要望などに商業会議所が動き出しているという記事です。この中には満州粟が当局が輸入を奨励したけれども、それは大凶作の際に行ったと書いています。また米作の普及はしたけれどもでそれは「食べるための米」ではなく「商品としての米」となっていることが書いています。しかし朝鮮内の粟では足りないので満州から粟を輸入しなければならないことも書いています。

ここで米価についてみてみます。先ほど紹介した杉野洋明さんの極東亜細亜研究所と言うブログの台湾総督府が発刊した「台湾の米」には「内地ニ於ケル内地米、朝鮮米及台湾米ノ価格」という昭和2年から昭和9年までの内地米、朝鮮米、台湾米の玄米一石あたりの価格が記載されている資料も紹介されています。今回その資料を基に内地米、朝鮮米、台湾米の米価の推移をグラフにしてみました。


米価は内地米>朝鮮米>台湾米となっていますが昭和8年くらいから内地米と朝鮮米の価格差が少なくなってきて、朝鮮米が内地米より高くなった月もある程です。

昭和5年11月~6年5月の期間が暴落しているのは、内地6687万石、朝鮮1908万石と云う空前の大増収だったためで米価を桁外れの安値になってしまいました。その際鮮米移出制限問題等も台頭してきました。

こうしてみると米の相場を見て売買できるであれば朝鮮農家は潤って行かなければならないと思うのですが、それまでの生産第一主義により、朝鮮米の品質向上、増産といったことに成功したかと思えましたが朝鮮農家は貧しいままです。それは何故かと言うと、上記米価の表がこの期間(11月~5月)なのかということを考えてみるとわかります。

朝鮮農民は大部分出来秋にこれを売り放ちます。しかし朝鮮に抑留して置く倉庫がないので朝鮮米は新穀期より二三ヶ月の間に著しく五月以降は急に減少する、即ち11月より1月までに全移出額の4割強を内地に移出し2月より4月までに3割弱を移出します。そうするとせっかくの「商品としての米」であっても「安くとも売らなければならない」という米価のコントロールができないという状況です。

そこで昭和5年に総督府では出来秋放売防止と移出米統制の見地から、米穀生産地には米の保管を目的とする農業倉庫を開港地には移出調節のため米倉を建設の米殻倉庫拡充計画を樹立します。その第一計画として昭和5年より5ヶ年間を期し季節的に調節百万石を目標として実施しました。その概要は

一、農倉は倉庫一ヶ所一万石収容能力のものを毎年十ヶ所宛五ヶ年間に亘り建設する
二、商業米倉は五ヶ年後に一万二千五百坪収容力五十万石のものを各開港地に設置
三、右計画の農倉には建般費七割と経営費一ヶ所年一干八百円計百七十七万三干円の補助商倉は新設買収借庫費用の六割を補助する


【京城日報 1934.3.15-1934.3.28(昭和9)】 農産統制の概観 朝鮮米移出統制問題擡頭す

今まで見たように朝鮮半島では粟を主食としていましたが総督府ができて米を「輸出商品」という扱いにして環境整備を行い、内地米種の導入、乾燥不足の解消、土砂や他の穀物の混入など農民への指導等々その欠点の解消や増産に努めました。さらに農家の経済観念が発達し高価な米を売却して粟に代えその間の差額を利しようという考えが一般に普及してきました。




【参考】

・日帝時代の「米収奪」について考える

・日帝時代の「米収奪」について考える その2



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