日帝時代の「米収奪」について考える

 最近、政治の話題は復興財源のため消費税UPが必要で法案だけ通したら信を問うとか(そんなに金がないのに韓日スワップなんて簡単に言うなよ・・と思うのですが)とTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)があります。TPPはメリットデメリット双方があるでしょうけれど、デメリットの一つに農業の問題があります。

私もTPPについては全く良く分かっていないのでTPP反対を表明している日本共産党の新聞「赤旗」のHPを覗いてみました。カナダ、米国、メキシコの3カ国間の自由貿易協定の結果どうなったかと言う記事がありました。結果としてメキシコでは「輸入農産物依存45%・離農4割」ということだそうです。(TPP参加 無関税化は何をもたらすか)

一方、読売新聞のアンケートでは、仮にコメの輸入が自由化された場合、価格が高くても国内産のコメを主に買いたいと答えた人は89%を占め、価格が安ければ外国産を主に買いたいとする人は7%に過ぎなかったという結果もあります。もっともこのアンケートは一般の人に対して行ったアンケートで外食産業とかでは同じような結果になるかどうかはわかりません。

例えば私の家では、毒餃子事件以降、安くとも「中国産の食品」は極力買わないようにしています。食べ物に関してはなるべく地場産の野菜とか魚とか「旬」を感じられるようなものを買うようにしています。地場産で旬なものは安いですしw。

画像さてお隣韓国でもアメリカとのFTA交渉を巡って農業関係者中心にデモなどが起きているようですし、FTAを強行採決しようと国会本会議場を奇襲占拠した与党ハンナラ党に対し野党議員が反発し、本会議場で催涙弾を投げつけるということがありました。国会本会議場で催涙弾が使用されたのは初めてだそうですが、過去に議場へ入るのにはハンマーやチェンソーを持ち出したりしたこともあったので今さら催涙弾ごときじゃ驚きませんねww
【もはや名物 『韓国国会の乱闘』】

そこで日帝時代、日本は朝鮮半島から米を収奪していったということに関していつか書こうと思って書かずにいたままだったので、これを機会に書いておこうと思います。


次の様な風景を目にしたことはありますか?

秋の農村風景、稲刈りをした後の自然乾燥(天日干し)の様子です。


地方によって「稲木干し(いなきぼし)」とか「稲架掛け(はさかけ、はざがけ)」とも呼ばれているようで、古くから行われてきた方法のようです。


一方、韓国の新聞等でも秋の風物詩という写真で米を乾燥させているのを見ることがありますが、韓国では日本と違い道路(又は家の庭など)で乾燥させているようです。




もちろん日本でも韓国でも最近ではコンバインを使って刈り取りながら脱穀していますが、昔ながらの方法としては日本と違っているようです。(東南アジアでも道路で乾燥させているところが多いようなので日本が特殊なのかもですが)

つまり日本では「稲刈り→乾燥→脱穀→籾摺り→玄米」としていましたが朝鮮半島では「稲刈り→脱穀→乾燥→籾摺り→玄米」としていたのかもしれません。下の写真とかを良く見ると未だ緑っぽい色が残っている写真ですしね。

こういう写真を見ると「あ~だから昔の半島の米は砂利が混じっていたり乾燥不足だったのか」と思ってしまいます。そうれはどういうことかというと・・・

1910年の日韓併合以降、朝鮮半島では鉄道や道路整備・船舶や港湾整備等々流通インフラが整備されるとともに各産業が盛んになってきます。しかし半島から輸出できる産物と言えばメインは米でしたので朝鮮総督府は米の増産・改良に力を注ぎます。では実際に当時の朝鮮米の評価はどうだったのでしょう、これに関する記事が1915年の京城日報にありました。



朝鮮米の声価 内地での批評

慶尚北道産米は内地に移出されつつあるが之に就き慶尚北道輸移出穀物改良組合は曩に内地取引者に向って批評を照会せしに朝鮮より輸移出の米穀は産地不明のものあるを以て慶北道産として批評を下す能わざるも朝鮮産として大要左の如く批評し来れり

名古屋
慶北道と直接取引は至って少く釜山港との取引にて移入せる為産地名等不明、農北穀物改良組合合格の付箋の品は更に発見されずと雖も従来の品質を標準として改良すべき点は
玄米 混石多き事件稗の混入せる事
大豆 乾燥不十分土の混入せる事

殊に名古屋地方は除石の方法尚お不熟練の為玄米の混石品は絶対に不向なり同地方は相当の需要ありて慶北地方と直接の取引を希望するを以て穀物営業者の紹介を乞う

岡山
検査済の米穀は未だ取引なし未検査に対しては概して左記の各項不完全なる為当市へは不向なり
米 籾多き事、砕米多き事、土石混入せる事、稗多き事
大豆 粒の大小不定土石混入せる事、乾燥不良なる事



【京城日報 1915.11.7(大正4)】 神戸大学附属図書館「デジタル版新聞記事文庫」


当時朝鮮米は日本では劣等な米として扱われていましたし、1914年の時点で朝鮮半島では灌漑設備のある水田は約2割にすぎませんでした。そこで総督府は灌漑設備を作り、朝鮮米の改良に取り組みます。



朝鮮の水田と灌漑

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朝鮮に於ける水田の総面積百ニ万四千三百五十六町歩余、而して灌漑の設備を有する水田は二十一万三千二百七十六町歩にして右の内伏によるもの十六万六千六百六十六町歩、堤堰に依るもの四万六千六百十町歩にして灌漑の便ある水田は水田の総面積の二割に過ぎず而して各道中に水田面積に対する灌漑地面積の歩合の大なるは咸鏡北道を第一として同南道江原道黄海道等之れに亜ぐと雖も咸鏡南北道の如きは元来耕地面積の最も少き地方にして京畿道忠清南道等の面積大なる地方に於ける灌漑施設は甚だ微々たるものなり左に掲ぐるは総督府に於て調査せられたる最も精確なるものにして朝鮮銀行が特に作成したる比較図と対照するに於ては朝鮮に於ける灌漑面積の現状は一目瞭然たるべし


【京城日報 1914.7.6(大正3)】 神戸大学附属図書館「デジタル版新聞記事文庫」




鮮米の改良 (一~七)

(一) 半島経済の大問題

産額既に千万石
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朝鮮の産業を開発するに就て米の問題は実に中心の問題である。朝鮮の農業の首位を占むるものは米作であって米の産額は半島内の需要を充たすのみならず内地及び外国に輸出せらるる量も亦た少なくない。併合以来我が当局は朝鮮の米については或は米種の改良、或は施肥灌漑の方法等に関して出来得る限りの奨励を加えたる結果米の産額は著しく増加し明治四十一年より併合の当年に至る三年間には毎年八百万石内外に止まったものが明治四十四年には千七万石に増加し大正元年には水害と干害とを蒙むったに拘らず尚お八百九十七万石の収穫があり、大正二年度には八月の末から九月にかけて旱魃があったけれども尚お一千万石以上に達した


【京城日報 1914.8.29-1914.9.6(大正3)】 神戸大学附属図書館「デジタル版新聞記事文庫」


米種改良や施肥・灌漑の方法等改良した結果米が著しく増産したということです。また朝鮮の米や大豆は、土石混入、乾燥不足、稗の混入等々により評価が低かったということですが、先の『鮮米の改良 (一~七)』にはこれらの欠点についても指摘し改良が必要だということが書かれていますので一部を紹介します。



鮮米の改良(五)

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米の顔に泥を塗る

朝鮮米改良の事について記者は水源の勧業模範場に本田博士を訪ねた。博士の好意によりて向坂技師の実際上の意見を聴くを得たのは甚だ仕合せであった。朝鮮米の改良については私は始終考えて居りますと冒頭した向坂氏の話は次の如くであった

▲朝鮮米の欠点

朝鮮と云えば内地の人などは一口に貶し付けて劣等米扱して居るけれども朝鮮米だって決して莫迦にはされぬ。成る程今日の朝鮮米には赤米、稗、砂石が混り又乾燥が不良である等欠点があるから台湾米などと一緒に内地では格を下げられて居るが此等の欠点さえなくば内地米と同格に進み得る見込は充分ある筈です。本来朝鮮米は味が良く殖えが良く特徴を備えて居るから他に短所を有たない限りは無碍に排斥さるべきものではない、現に群山から移出されたものを朝鮮米と云わずに黙って取引に掛けたところが大に内地で歓迎されたと云う事も聞いた。

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▲鮮米改良の方法

故に朝鮮米をして粗悪米視せらるるをなく内地に声価を保しめるには

(一)在来の米に混て居る赤米を取除く事
(二)内地種即ち早神力、殻良都等には赤米抜という特別の労力を要しないが稗と石の混ることを防ぐこと及
(三)乾燥を良くすること等は何より先に実行せねばならぬ事である、夫れのみならず肥料の点にも大に注意を要する


と云うのは、若しも今日以後と雖も朝鮮の農家が依然従来通りの施肥の方法で行くとすれば収穫も依然として増さず米質も依然として改められる訳には行かぬから、収穫も多く品質も良くなる代償として肥料を充分に施こす様にせねばならぬ。

併し農家が絶えず充分に肥料を施こす資力がないとすればせめて施肥の年に米を作るようにしたいものである。即ち従来の方法によると毎年は施肥せずして隔年位に施こして居たのが通例であるが願わくば毎年施肥して毎年植えるか又はそれが毎年と云う訳に行かなければ施肥の土地には内地種を植え施肥しない田には在来種を植える事としたいものである

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▲乾燥不良のこと

朝鮮の秋は快晴無比、空気の乾燥遺憾がないに拘らず朝鮮の米が乾燥不良の批難があるのは残念であって特に注意を要する。又木浦方面の米には赤米の代りに海老米というのが混って居る之れは乾燥不良の米が堆積されて発酵したために出来るものであって人事を尽さぬより起るところの欠点である。

全体朝鮮の百姓は米の顔に泥を塗るとは私等の常に云って居る処で、折抦出来た売物の米だから相当に化粧が要るのにそれどころか却って泥を塗って打ち毀して居る。



「赤米」というのは現在では「古代米」ともいわれる米で、品種改良された米に比べると劣るとされています。これを肥後米(熊本)の「早神力」という品種に変えていきます。

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大正二年に於ける早神力稲の作付総反別は六万五千七十三町歩である。早神力稲の特色は

(一) 螟虫及び浮塵子に対し抵抗力の強き事
(二 )藁質強靭にして蓆叺の堅縄に適する事
(三) 籾摺及び精白歩合の高きこと
(四) 滋味の良好なること
(五) 収量は在来稲に比し約三割三分の増収あること等である

故に早神力稲は一反歩平均籾一石の増収となり価格も亦た籾一石に付一円方高くなるから一反歩に対し約十円の増収入となり六万五千七十三町歩に対し六百五十万七百三十円の所得を増加する訳であって年々其普及力の大なるのも当然の事である。


このように、「早神力」に変えることにより赤米を無くし収量も多くすること、手間暇かけて乾燥や土石等の入らないようにするというのが朝鮮半島における課題と言うことでした。

しかし最後の文の「人事を尽くさない」とか「せっかくできた売り物には化粧がいるのに泥を塗っている」というのはおもしろい文ですが、『イザベラ・バードの朝鮮紀行(1898年)』にも似たような文がありました。

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朝鮮の漁師は意欲に甚だしく欠けるとされており、オイセン氏は1891年度の元山に関する税関報告で「幼稚な罠を沿岸に仕掛けておいて、毎日一時間かそこら見張っていればとれるような漁獲高で満足している」と朝鮮人漁師を非難している。とはいえ、私が通りがかった各村落には七隻から十二隻の漁船があり、海に出ていたことを言っておかねば成らない。航海には適さない舟であるから、沿岸から離れないのも無理はない。

漁業が沈滞しているのは、ほかの諸産業と同じく、労働者の所得がまったく不安定で、しかも官僚が搾取しているからであり、朝鮮の漁師はどうせなにかと口実をつけて取り上げられてしまう金銭なら、儲けようという気にはならないのである。また、漁業に従事する階層には、貧しさという盾を求めようとする傾向が全般にある。


さて日本では明治維新が起きて、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が公布されます。そして翌年帝国議会が発足し近代国家への道を歩むことになっていくことになります。それから遅れること約20年、1910年日韓併合により朝鮮総督府は、「人事を尽くさない」とか「意欲にかける」というような生産者や「何かと口実をつけて金銭を搾取する」ような官僚がいる状況下で朝鮮半島の近代化に取り組みます・・・が、

現在の韓国ではこの時代は暗黒の時代と教えられていますが、米についても次のような理屈で「収奪」とされているようです。

朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道や港湾などインフラの整備を始めました。
また米の品種も、早神力など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さらに栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しました。こうした努力の結果が、朝鮮の食生活を少しでも豊かにしたのであれば、「日本は植民地に少しは良いこともした」という考えをある程度認めたいところです。しかし、事実は残念ながら、米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。即ち、日本の搾取がなければ朝鮮人が食ってけなくなって日本に移民してくる事もなかった。


当時の朝鮮半島の米には、「食べるための米」から「商品としての米」に変わって行く状況なので「日本が米を収奪し朝鮮人一人当たりの消費量は逆に減った」と言うことでしょう。次回から、この辺りを考えてみたいと思います。

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