関東大震災の虐殺朝鮮人の写真

 韓国の聯合ニュースが「関東大震災の虐殺朝鮮人の写真」というのを記事にしました。



関東大震災朝鮮人虐殺当時の写真か韓国研究家が公開

関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺をめぐり、東京都教育委員会が来年度版の高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに批判が高まる中、国記録写真研究家のチョン・ソンギル氏(啓明大東山医療院名誉博物館長)が3日、虐殺事件当時に撮影されたとみられる写真を聯合ニュースに公開した。

 写真の上部には「大正十二年九月一日」と日付が書かれている。大正12年(1923年)9月1日は関東大震災が発生した日。

 写真には数十人の遺体が写っており、遺体の下衣は取られている。遺体の周囲には男性らが長い棒を手にして立っている。

 チョン氏は「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」と憤った。棒を持っている男性らは大震災当時、朝鮮人を虐殺した自警団と推定されるという。別の写真では腐敗した遺体が積み重なっている様子が収められている。

 3~4年前、日本で写真を入手したチョン氏は「写真を見て驚愕した。女性の下衣が脱がされているなど、残酷で恥辱的だったので公開したくなかった」と話す。だが、東京都教育委員会の発表をニュースで知り、歴史を正しく知らせるため公開を決めた。チョン氏は「恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった約6000人に上る朝鮮人の魂はわれわれが守らなければならない。写真など資料を示し、日本人が過去に犯した蛮行を告発すべきだ」と強調した。
(以下略)

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写真は聯合ニュース(韓国語版)


聯合ニュース日本語版 2013/02/03


 日本でもネット掲示板を中心にすぐ反応しましたので知っている人も多いでしょう。ただあまりにも反応が早すぎたためにこの写真をめぐって情報が混乱しています。そこでちょっと調べてみました。

 これは記事中にある東京都教育委員会が来年度版の高校日本史の副読本から「虐殺」の文言を変更すると発表したことに対して「写真を公開」ということなのですが。

 聯合ニュース日本語版と韓国語版では若干記事の内容に違いがあるので、先ずはそこから。
1)タイトル
 日本語版:「関東大震災朝鮮人虐殺当時の写真か 韓国研究家が公開」
 韓国語版:「"虐殺が誤解?"関東大地震朝鮮人虐殺推定写真公開」

2)「虐殺」とした理由(女性の死体)
 日本語版:「犬が亡くなっても碑石を立てる日本人が自国の人だったら死人の遺体の下衣を脱がせただろうか。虐殺以上の蛮行」
 韓国語版:「犬が死んでも碑石をたてるほど葬儀を重視する日本人たちが自国の人なら死んだ人の死体で下衣をはがしたか"と反問しながら"女性死体だけ選んで下衣をはがして、また、一度恥をかかせたことは虐殺を凌駕する蛮行の極限状態"と憤慨した。

 チョン氏は写っているのが多くの女性の死体だったので、「女性たちを選んで、下衣をはがした」ということを虐殺ということに結びつけた理由としているようですが、 ここの部分は日本語版には書いていないところです。

3)「虐殺」とした理由(自警団について)
 日本語版:棒を持っている男性らは大震災当時、朝鮮人を虐殺した自警団と推定される
 韓国語版:竹槍、鉄串に見える長い棒を持っている男性は、(関東大震災当時の朝鮮人虐殺を行った)、日本自警団と推定される。
 こちらは韓国語版では自警団が「震災当時の朝鮮人虐殺を行った」と()付きですが、日本語版では()なしで書かれています。

 こうして見ると韓国語版は「証拠ニダ!」という論調ですね。ただ写真からは「朝鮮人虐殺」に関する何の情報も得られませんし、「証拠」ではなくチョン氏の脳内妄想で「○○に違いない」ということを素に「勝手に証拠」としているに過ぎません。韓国報道では日常茶飯事によく見られる光景です。
 
 また日本のネットで「捏造」と反応すると産経新聞が「韓国でまた捏造? 「関東大震災の虐殺朝鮮人の写真」と研究家が主張 写っている犠牲者は吉原遊女か」(2013/02/04)という記事にします。

 そしてそれを受けてまたまた聯合ニュースが「http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2013/02/04/0400000000AJP20130204002500882.HTML」(2013/02/04)という記事を載せます。以下は記事に書かれているチョン氏の反論です。

 チョン氏は「私が公開した写真は原本だ。その写真には『新吉原公園の惨状』と書かれていない。東北芸術工科大学東北文化研究センターにある写真が原本なのか印刷本なのかを明らかにしなければならない」と述べた。その上で、「当時の日本人女性は下着を着けない場合が多かったというが、写真の中の遺体は陰部が損傷している」と説明した。

 日本メディアが「韓国でまた捏造?」とチョン氏の主張を非難するような見出しをつけて報じたのに対し、チョン氏は「写真に書かれた日付が当時のものかどうかを確認するため、印画紙とインクを検証する用意がある」と話した。
 

さてここからが検証です。といってもネットで調べるだけですが・・・(^-^;

先の聯合ニュース日本語版には写真は一枚でしたが、韓国版にはもう一枚写真があります。
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さらに聯合ニュース韓国語版では写真を公開した記事の他に「写真一枚が千の言葉より威力..日帝の蛮行告発しなければ」聯合ニュース(韓国語版)2013/02/03という記事でチョン氏の写真も載せています。
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 面白いのは、写真公開の記事にも「写真の上部には "大正十二年九月一日(大正12年9月1日)"と日付が明確に記されている。」と書いていますし、この記事にも写真上部分に'大正十二年九月一日'と関東大地震が起きた日(1923年9月1)が記されているこの写真には下衣がむけた数十体の死体、腐敗した死体が幾重にも積まれている場面などが含まれている。と書かれています。

 しかしよく見るとチョン氏の持っている写真には日付は入っていません。つまりチョン氏は「日付入りの写真と日付なしの写真」2枚を持っているということなのでしょうか。ただ「写真に書かれた日付が当時のものかどうかを確認するため、印画紙とインクを検証する用意がある」と言ってますがどうなんでしょうね。

 さて問題になっている「吉原公園」の写真ですが、結論から言うと「これは何枚もある」と考えられます。

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 4枚のうち3枚(1~3)は同じ構図の写真で、周りには余白もあります。
1)の下の余白には「東京吉原遊郭内池中ヨリ水死者引上ノ参上」と記載があります。3)は東北芸術工科大学東北文化研究センターのアーカイブスの写真で「新吉原公園の惨状」と書き込まれています。(当初キーワードに明治44年とか吉原大火とかあったようですが、今は修正されているようです)
 4)は「吉原公園」と書いていますが、他とちょっと違って、死体の列も少ないですし、後ろの方には野次馬と見られる人たちが写っています。時間的に他の写真より前に撮られた写真と考えられます。

何も記載のない2)については後述します。

 これらの写真で余白または写真の中に書き込みがありますが、全て「右から左へ」なおかつ「場所を特定」する書き込みだけです。聯合ニュースの写真は「日付」だけで場所の書き込みはありません。つまり書き込む意図として、「いつ震災が起こった」ということは全国で知られていたので、「状況を知らせること」、例えば「どこどこがこういう惨状だった」ということ知らせることを目的として「場所の情報」を書き込んだと考えられます。例えば、「浅草」の被害状況とか「横浜」の状況とか知らせる場合です。

 一方「いつの」という情報は、その当時としては必要ありません。みんな知っているからです。日付が入っているのは「あの関東大震災の被害状況」として特定するために必要となります。したがって「日付だけ」というのは、何も情報がない写真に関して「関東大震災の」ということを理解するために「日付」が必要だったと考えられます。後になって日付を書きんだとしても不思議ではありません。また後になって書かれたのだとすれば、この日付だけ「左から右」に書かれていても不思議ではありません。(これは聯合ニュースやチョン氏が書いたということではないですが)

また次を見てください。1)の写真は赤枠、3)は青枠、聯合ニュースの写真は黄色枠の範囲が写っています。
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 何も記載が無く一番広範囲に撮っている上記2の写真を基に他の写真がトリミングされた可能性についてみたものです。ほぼトリミング可能された可能性が高いのですが聯合ニュースの写真は若干右側が更に広いような印象を受けます。もう一枚違う写真です。こちらは左端が他の写真に比べて更に広く写っています。
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 これからわかるように吉原公園の写真は、元の写真をトリミングしたか又は同じ位置から何枚か撮られたものが複数あると推定できます。当時は、観光名所や事件・事故の様子等など写真の他に写真絵葉書(余白に簡単な説明を付けていたもの)というのがあってお土産用に売られていました。また写真は、そのままのものや場所等を書き込んで売っていたと考えられます。また写真は単体だけではなくセットで写真集として売られているということはよくありました。上記の写真も、関東大震災の惨劇を伝える目的で写真や写真絵葉書にして販売目的で撮られたものと考えられます。(こういうのは販売禁止とされましたが、随分と出回ったようです。)
 
 例えば、次の写真には「吉原ノ参上(非売品)」と書かれています。
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 さてネットでこの写真は明治44年の「吉原大火」の写真という情報もありましたが、①火災の範囲が吉原地域だけだったこと②各妓楼では家具を運び出せるほど余裕はあったこと③昼だったので死傷者が少なかった(8名と言われている)ことなどから、吉原公園の写真は「関東大震災の写真」と考えられます。
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 そこで「震災時の吉原遊郭の惨状」について写真以外に惨劇を伝えるものを紹介します。これを読むと「吉原公園の惨状」となっている写真と容易に結びつきます。

大阪朝日新聞が1923.9.7(大正12)に伝えた「見よ帝都の惨状 各区に亙り調査した現況」の一部です。
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 吉原方面は一軒だに残らず全部崩壊焼け払われ全町の娼妓妓夫廓内の住民は生命辛々裏手から吉原公園に辿りつき、ホッとする間もなく火は忽ち同公園にも及び千数百名は附近の池に飛び込み互いに胴を繋ぎ手を握りしめたまま全部溺死を遂げた。此の災害から脱し得た住民数万は何れも市外へ遁げていったが吾妻橋、廏橋の両橋は仮橋本橋も全く破壊し僅かに迂回して両国橋を通るもあり向島、寺島を経て千葉県、茨城県方面に見るも哀れの状態にて避難しつつある
 千数百名が水死というのはちょっと違いますが、近代歴史ライブラリーにある「大正大震災誌」(報知新聞社編 大正12年)の中にもその状況の記載があります。
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 吉原公園へ避難したが、公園へ隣った吉原病院に火が移ると、ここも周囲から炎に包まれて、大焦熱の苦患の中に、ただ一つの頼みとなる池の中へ、われもわれもと飛び込んだ。水は二尋(注:約3.6m)もあるので、泳ぎを知らない女連は、火を逃れて続々水に溺れる。その上へその上へと飛び込むので、あがいている者も助かるわけがない。わずかに桟橋の杭につかまった者が、ホッと息をついていると、その肩につかまり、またそれにつかまって、ちょうど数珠つなぎのようになり、雨のような火の粉を浴びながら、昼から夜へ、夜から朝へと、運を天にまかせて火の静まるのを待った。(略) 一刻一刻に死人は増した。火に焼かれた上水ぶくれになって、蛙のように浮かんだ者が幾百千と知れなかった。

 このような新聞などの記事や写真などから関東大震災における吉原遊女が焼死又は水死し(「大正大震災誌」では廓内の娼妓約2500名でうち死者・行方不明合わせて千余名と書かれています。)、その遺体を吉原公園に並べた時の写真と考えて良さそうです。つまり記事や写真からは朝鮮人虐殺に繋がるような情報は全く得られずチョン氏や聯合ニュースの妄想記事と言えます。

 またチョン氏の言う「女性死体だけ選んで下衣をはがして、また、一度恥をかかせたこと」に関しても、吉原遊女の遺体ならば女性ばかりというのも説明が付きますし、「火に焼かれた上に水ぶくれの蛙のような」という遺体であれば綺麗ということはないでしょう。何しろ夏ですし。

 「大正大震災誌」には「酸鼻を極めた死体の始末」ということが書かれています。
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 災後の2日3日には、至る所に焼死体や溺死体や圧死体が横たわって、見る者の目を覆わしめたが、市と警察と協力して7、8日ころまでにはだいたい始末を了えたが、最も酸鼻を極めたのは、何といっても本所の被服廠跡と、吉原公園の池の中とであった。被服廠跡と吉原とは、現場に臨時火葬場を設けて、次から次へと煙にした。
 市内で収容された死体7万4024人のうち、男女の判明する者は男1万5628人、女1万6102人で、あとの3万9294人は男女の別さえ分からぬ死体だった。いかに酸鼻を極めたかは、この一事でも想像される。


記事では、若干計算があっていませんが、半数以上は性別すら不明ということですが、
 死体数 74024 - 性別不明数 39242 = 34730
 男性  15628 + 女性  16102 = 31730
性別を調べるには「下衣をはがす」というのが手っ取り早い方法で、記録したら次から次へと火葬したんでしょう。それでも片付くまでには一週間くらいかかったと書かれています。ということでチョン氏や聯合ニュースの言う「朝鮮人虐殺」というのをこの写真からは導くには相当な無理があるということですね。

チョン氏は「国記録写真研究家」とか「啓明大東山医療院名誉博物館長」ですが、研究家とか博物館館長の肩書きが泣いていますねwww。


 さて書き込みのない2)の写真ですが、もう一枚同様な写真があります。一緒に見てもらいますが、聯合ニュース韓国語版に載っている2枚の写真と同じです。しかしこちらは日付は両方共入っていません。
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 実はこの2枚は「Robert L. Capp collection」という10枚の写真の中の2枚です。戦後の1945年、米国占領軍兵士Robert L. Cappが広島近くの地下室で見つけた未現像フイルムのロールの間に見つけた写真です。彼は1998年スタンフォード大学のフーバー研究所に「10年間公表しない」という条件で寄贈しました。

 そして10年後の2008年「広島の原爆投下直後の未公開写真」として世に出たのですが、2008/05/09フランスのル・モンド紙が「ヒロシマ:これまで世界が見なかったもの」として公表しますが、日本からの指摘などもあって05/13訂正記事を出すといった曰く付きの写真です。

 おそらく何の説明書きがない写真で広島で発見されたということで原爆投下後と誤認したようです。指方英佑氏のブログ「関東大震災の写真」にも同じ写真が有り(お父様が残された写真のようです)そこには詳しく書かれていますが、写真の説明には次のように書かれています。

These photographs, taken by an unknown Japanese photographer, were found in 1945 among rolls of undeveloped film in a cave outside Hiroshima by U.S. serviceman Robert L. Capp, who was attached to the occupation forces.

 従って、この写真は、wiki「関東大震災」でも使われ「作者:Robert L. Capp」となっていますが、彼は写真を見つけただけで撮影者ではありません。撮影者は「an unknown Japanese photographer」です。

「Robert L. Capp collection」の10枚は次のサイトで見ることができます。

https://plus.google.com/photos/107160676741564834668/albums/5207004111700909457?banner=pwa


 さて関東大震災の「自警団」に関してですが、大阪朝日新聞(1923.9.3)「阿鼻叫喚の帝都を縦横に馳駆して廻った本社吉田特派員の視察記」に次のような記事があります。吉原のことを調べていたら同じ記事中にありました。
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何の窮民か 兇器を携えて暴行 横浜八王子物騒との情報

【二日午後七時金沢某所着電長野よりの情報】
 二日正午戒厳令発布と東京を追払われた約二百名の不逞漢いろいろの兇器を携え八王子市に入り込み不穏の形勢あり、夕方に至り悪化して暴徒と化し市民は附近の山中に避難し、警察署は官公吏、青年団に武装を許し相対峙している、列車は八王子に入るを得ず、右不逞漢は東京、横浜に連絡を有するものと伝えらると横浜の罹災民避難地へ不逞漢多数暴れ込み出兵を要求したと(串本電報)
横浜地方ではこの機に乗ずる不逞鮮人に対する警戒頗る厳重を極むとの情報が来た 。

また、「探検コム」さんのサイト外資系の会社員だった大関鬼子郎さん(当時30歳)の震災当時の日記が公開されていて、自警団のことが書かれています。

9月2日
 三渓園の少し手前に差しかかった時、初めて自警団に出会った。
「今、根岸の監獄が焼けて約400~500人焼死したので、残り1500人程を一時解放した。それらが全部本牧の山に逃げ込んでいるし、近くの鮮人部落の者が通り人に乱暴を働いたから、諸君の安全は保証できぬ」と言われた。時計を見れば午前3時半である。そう思って行き交う人を見れば、鮮人や脱獄者にも見えて来るので、そこでしばらく夜明けを待つ事にした。


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この記事へのコメント

本日
2016年11月11日 17:16
祖母の実家から数枚関東大震災の写真が出て来ました(原本)
一つは銀座、一つは場所不明、一つは朝鮮人や中国人の虐殺に関するものと思われます。
祖母は幼少期父からその写真を見せてもらったことが以前にもあったとか
虐殺があったこと自体は史実かと思われます
この写真は知りませんが

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